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経歴

元々は土岐家の人間であったが、義兄の死により跡目がいなくなった梶川家に養子になり梶川家当主に就任。地道に勤め上げ元禄14(1701)年、500石の加増を受ける。その19年後隠居し、3年後死去。

忠臣蔵最大の被害者

……とまあ、どこにでもいる平凡な旗本だったのだが、一つの事件が彼の運命、と言うか名前を大きく下げてしまう事となる。

それが、かの「松の廊下」事件。

いきなり吉良上野介に斬りかかった浅野内匠頭をご乱心として押さえたのが、大奥付き留守居番だった頼照なのだ。

まあ、「殿中でござる」とやってる人を思い浮かべてくれれば幸いであろう。

その結果吉良上野介は負傷、浅野内匠頭は切腹の上御家取り潰しとなるのだが、その後に発生したのが赤穂浪士討ち入り事件である。

その後は言うまでもなく、吉良上野介は大悪党・赤穂浪士はスーパースターとなってしまい、江戸庶民みんな赤穂浪士バンザイ状態(なお赤穂浪士を切腹と決めて庶民から不興を買った人も約一名いる)。

で、頼照はと言うと。

  • 曾我兄弟の屏風を見せ付けられる(お前は仇討を止めたバカヤローだと言われているのと同義語)
  • 「何で止めたんだよ?止めなきゃ死ぬのは二人で済んだんだぞ」と老中から言われる
  • 自分の悪口を言っていた連中に斬りかかろうとして女将に止められ、「そうか、こういう事だったのか……」と気づいて失意のまま死んだ事にされる

と、もうボロカスである。

一部では再評価されている吉良上野介と違って、こっちの再評価の声は一向に出て来ない。

「わかってたら止めなかったよ、でもいきなり刃物を振り回してるのを見たらそりゃああもなるだろ」と言う言い分は至極ごもっともだけに……。

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