概要
横田早紀江は北朝鮮拉致被害者横田めぐみの母で福音派のクリスチャンである
プロフィール
1936年生まれ | ||
性別 | 女性 | |
誕生日 | 2月4日 | |
出身地 | 京都府京都市 | |
身長 | [150センチ以上で165未満]] | |
体重 | 40キログラム以上で60キログラム未満 | |
好きなもの | 家族。めぐみがバドミントンを頑張っていることヨブ記。 | |
嫌いなもの | 嘘。拉致問題が未だに解決しないこと人を傷つけること) |
家族構成
横田滋(夫)
横田めぐみ(長女)
横田拓也(長男)
横田哲也(次男)
キムウンギョン(孫)
チオニ(曾孫)
人物
聡明で優しい性格の人物で家族のことを誰よりも気遣っている福音派のクリスチャンでもある
子供が3人いる
経歴
1936年京都に生まれ1963年夫の滋と出会い結婚翌年には子宝に恵まれている
1976年夫の転勤に伴い家族みんなで新潟に引っ越した
1977年11月15日バドミントンを終え帰宅途中で娘のめぐみが行方不明になっているため必死に探すも見つからないまま家に帰ってきてしまっている
生死もわからず、何の手がかりもないなかで、早紀江は、新聞の群衆写真や雑誌のグラビアなどに、めぐみと似た女性が写っていると、新聞社に問い合わせしたり、写真の女性がいる場所を訪ねたりさえするほど、各地を必死に探しまわった
夫と共に捜査を続けていたが2020年には死別している
近所に住んでいたアメリカ人のマクダニエル宣教師が失踪事件のビラを作り、新潟港で配っていたがそれでも見つからないまま年月は過ぎていく
1980年には産経新聞を読んでいる途中海外
聞社会部の阿部雅美記者が日本海沿岸を中心に起きたことを知り地村保志、浜本富貴恵、市川修一、増元るみ子らの蒸発事件には、外国の情報機関に関与している疑いが強いこともあり
産経新聞新潟支局の支局長にそれを尋ねても極めて関連性は低いと否定されている
1996年(平成8年)10月号で石高健次の書いた記事が「現代コリア」に掲載された。このことが発端になり、1997年(平成9年)2月号の「アエラ」「産経新聞」などで取り上げられた。この記事を高世仁が安明進に確認し、めぐみが拉致にあったことが判明していると
日に長女・めぐみが北朝鮮に拉致されているという情報が伝わり、横田滋が議員会館で詳しい情報を聞いた。そのころ、早紀江は何も知らないまま、千葉におけるキリスト教の集会で、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と、仲間とともに祈っていた。帰宅後、滋から今日入った情報について聞かされ驚くとともに、「生きていたのね、めぐみちゃん」と、失踪から19年目にして初めて希望を見出す[6]。この日の情報をもとに、「めぐみさんを救う会」が結成される。その後全国23箇所で「救う会」が結成されるようになる
1997年に韓国で元北朝鮮工作員の安明進にめぐみの消息を聞く。このとき、横田夫妻が持参した多くの写真のうち、拉致の約1ヵ月前に新潟空港で滋が撮っためぐみの写真を見て、安明進はこの写真が自分が北朝鮮で見た女性と一番よく似ていると証言した。新潟を訪ねてきた滋の父親が北海道に帰るのを一家で見送るために、新潟空港に行ったときの写真だ。このときの写真が、拉致前、めぐみが日本国内で撮られた最後の写真でもある。初めて髪を短くした直後でもあり、この写真の顔が早紀江にとっては、その後探し求め続ける娘めぐみの面影となった
韓国から帰国後の3月25日に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成される
梅本和義駐英公使がめぐみの娘とされているキム・ヘギョンに面会した。北朝鮮政府が拉致の事実を認めて謝罪して、拉致被害者の安否の情報を日本政府に伝えた。
その際、外務省の飯倉公館に集められ、福田康夫官房長官(当時)と植竹繁雄外務副大臣(当時)より、めぐみが死亡しているという北朝鮮の情報を宣告される。また、めぐみが韓国人と結婚して、娘のキム・ヘギョンを生んだと伝えられる。ここからマスコミの冷たい反応が変わったといわれている
2004年(平成16年)5月22日、再訪朝した小泉純一郎首相に北朝鮮は「死亡とした拉致被害者たちについて再調査する」と約束。その結果、11月に平壌で行なわれた日朝実務者協議で、めぐみの夫だったという男性が“横田めぐみの遺骨”を提出したが、それは約1カ月後、日本側のDNA鑑定により偽物だと判明している
横田めぐみの死亡説を否定して、夫と共に娘を含めた拉致被害者の奪還ための活動を続けていたが2020年に夫の滋が亡くなる
北朝鮮拉致被害者のうち5人は生存者で8人は死亡者とされるが
めぐみも死亡と書いてあったが夫の茂はめぐみか死ぬわけないと涙ながらに否定している
現在も娘は生きていると信じながら娘のめぐみを含め他の拉致被害者の帰国を願い続けている
その他
2002年に写真も提出されたので平壌ホテルのソファーに座っている女の子を見て孫だとすぐわかった
2014年にはモンゴルでめぐみの娘や孫と思われる人物(キムウンギョン)と曾孫のチオニと再会を果たすもあの場にウンギョンや曾孫のチオニの面影は横田めぐみの赤ちゃんの頃を彷彿とさせる
早紀江もウンギョンは自身の孫ということもあり仲は悪くないようである
曾孫のチオニを抱いた時はニコニコ笑っていた
今お額縁に孫の写真を飾ったまま今現在も大切にしている
関連イラスト
別名・表記ゆれ
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