概要
1949年石川県羽咋郡白河町に生まれる1963年同時中学生だった彼は寺腰昭二伯父の寺腰外雄と行方不明になる
親戚たちも武志が帰ってこないため死んだと思ったらしい
そのまま家族3人で葬儀を行うが24年後の1987年には死んだと思われている(武志)本人と外雄から一通の手紙が届いたようで北朝鮮で暮らすようになって結婚後には一般家庭を持つようになったと言う
妻は北朝鮮人で息子は友日(ウイル)とされる
豊子の夫はすぐにこれに返信し、本当に外雄本人なのかどうか確定させるための質問も盛り込んだ外雄の返信により、間違いなく外雄の北朝鮮での生存が確認された
昭二は北朝鮮に来てから5年後に亡くなっている
2002年日朝首脳会談が実現し母寺腰友枝は息子の武志に会いに行ったがすっかり変わっている息子の姿を見てかなり驚いたようである
年月は流れ2024年3月に亡くなるが60回以上北朝鮮を訪れている
武志は亡き母のことを想いながら苦労と迷惑をかけたようで申し訳ないと謝った
北朝鮮に救われて副委員長になったし拉致されたわけではない朝鮮人民共和国の人間だと言っている等彼も偶像化教育を受けた可能性が高い。
現在も北朝鮮で暮らしている
北朝鮮拉致被害者ではあるが本人は拉致を拒否しているため
被害者リストには含まれていないが最近では被害者扱いされている
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