ピクシブ百科事典

正嘉鎌倉地震

しょうかかまくらじしん

1257年(正嘉元年)に鎌倉地方を襲った大地震
目次[非表示]

概要

正嘉鎌倉地震(しょうかかまくらじしん)とは、1257年正嘉元年)に関東地方南部(鎌倉地方)を襲った大地震である。「正嘉の大地震」あるいは「正嘉地震」などとも。

1257年10月9日(正嘉元年8月23日)の戌亥の刻 (21時ごろ) 、関東地方南部でM7.0〜7.5程度の大地震が発生した。 震源相模湾であったとみられる。そのため、鎌倉を中心に甚大な被害が生じた。 南関東直下地震の1つといわれている。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、当時の様子が次のように記されている。

廿[にじゅう]三日乙巳[きのとみ]。晴。戌尅[いぬいのこく]に大いに地震う。音有り。神社仏閣一宇として全きは無し。山岳頽崩し、人屋顛倒し、築地皆悉く破損す。所々地裂け、水涌き出で、中下馬橋[なかのげばばし]の辺は地裂け破れ、其の中より火炎燃え出ず。色青し云云(吾妻鏡)
吾妻鏡は、13世紀後半に完成したとされ、かなり近い年代のものを描いていることになる。日蓮聖人註画賛にも描かれている様子があるが、こちらはかなりの年代が離れているため、想像で描いたものに過ぎず、正確性は得られないと思われる。

被害

地震の揺れにより、山崩れ、家屋の倒壊、地割れ液状化現象などの被害があったとされている。鎌倉では、建物のほとんどが倒壊し、神社や仏閣などにも被害が出た。地割れから可燃性のガスが噴出、引火し炎上したとされる。津波も発生し、東北地方の太平洋沿岸にも津波が襲来したという。死者については、はっきりとした人数は不明だが、多数いたと推測される。

M7.0〜7.5であったと当時の歴史資料から推測されておおり、かなり大規模な地震であったと推測されている。久慈市の一部に津波の被害があり、揺れも観測されたとされている。また、この地震の余震と思われる小規模の地震が、8月25日に何度か観測されるなどしていた。

この地震による惨状は、「立正安国論」を執筆されるきっかけになった(「安国論奥書」「安国論御勘由来」、33㌻)。

参考文献

関連記事

親記事

南関東直下地震 みなみかんとうちょっかじしん

子記事

コメント