古今東西を問わず政治家は男が多いが、えてして男は女に弱い。文武百官を動かす王が家の中では妻の言いなりだった等という事例は枚挙に暇がない。本項は、偉大な政治家が妻妾に顎で使われて大事を起こす、あるいは色恋沙汰の喧嘩から戦争を起こす、そういった事例を指す言葉である。
公的なものとしてはフランスの名政治家タレーランが「女性こそが政治だ」という言葉を残している。女の話ばかりするタレーランに辟易して「政治の話をしよう」と振ったティエールに対しての返答である。真意は不明であるが、タレーランが政治家として関わったブルボン家やボナパルト家が女傑たちに振り回された事実と合致しているし、またタレーラン自身もスタール夫人の後援で出世したのである。
影どころか表に出まくったケースとしては、オスマン帝国の「女人の天下」が有名である。同帝国では16世紀後半から17世紀前半にかけて政治に無関心な皇帝が続いたため、政治の素人である皇太后が好き勝手に国政を操る事態に陥り、大きく国力を落としてしまった。逆にマリア・テレジアや則天武后は、天下を操る女人でありながら政治の達人であったことで知られる。