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ブルボン

ぶるぼん

ヨーロッパで王侯貴族を輩出した一族。ブルボン家。そこから名を取った地名、会社名など。

曖昧さ回避編集


「マスターは、どのブルボンがお好きですか?」

ブルボンのお菓子を食べるウマ娘のミホノブルボンさん。




ブルボン家編集

家名はフランス中央部の地域ブルボネー(現・アリエ県)から。


10世紀、アデマールがブルボネーの領主となり、ブルボン城にちなんで自らの家名をブルボン家とした。

1327年、ルイ1世がブルボン公となったが、1503年に嫡流は絶え、モンパンシエ伯シャルルが家長を継承し、ブルボン公シャルル3世となった(ブルボン=モンパンシエ家)。

1527年、シャルル3世が戦死すると再び嫡流は途絶し、ヴァンドーム公シャルルが家長を継承するが、ブルボン公の称号はオルレアン家のものとなった。

1555年、妻のジャンヌがナバラ女王となったのに伴い、ヴァンドーム公アントワーヌもナバラ王となり共同統治する。

1589年、アントワーヌの子アンリがフランス王となる(アンリ4世)。以降、フランス革命による中断を挟み、シャルル10世の退位までフランス・ブルボン朝が続いた。

1660年、フランス王ルイ14世の弟フィリップがオルレアン公位を授爵された(ブルボン=オルレアン家)。

1700年、ルイ14世の孫であるアンジュー公フィリップがスペインフェリペ5世となる(スペイン・ブルボン朝)。

1731年、パルマイタリア)のファルネーゼ家が断絶し、フェリペ5世の子ドン・カルロス王子がパルマ公位を継承。

1735年、ドン・カルロス王子がナポリ王国とシチリア王国をハプスブルク家から奪還。パルマ公位をハプスブルク家に譲渡する代わりにナポリ王カルロ7世及びシチリア王カルロ5世となる。

1748年、アーヘンの和約によりパルマ公国はスペインの支配下に入り、ドン・カルロス王子の弟フィリッポ王子がパルマ公フィリッポ1世となる。以降、フランス革命軍による占領を挟み、1860年のサルデーニャ王国への合併まで存続する(ブルボン=パルマ家)。

1759年、ドン・カルロス王子がスペイン王カルロス3世として即位。ナポリ王とシチリア王の座がフェルディナンド王子に譲られ、ナポリ王フェルディナンド4世及びシチリア王フェルディナンド3世として即位する。

1816年、ナポリとシチリアは合併して両シチリア王国となり、フェルディナンドは両シチリア王フェルディナンド1世として即位。以降、1860年のガリバルディ軍による征服まで両シチリア・ブルボン朝が存続する。

1830年、7月革命で退位したフランス王シャルル10世に代わり、オルレアン公ルイ・フィリップ3世がルイ・フィリップとして即位。

1848年、2月革命で退位したルイ・フィリップ王はイギリスに亡命。

1931年、スペイン王アルフォンソ13世が国外亡命してスペイン・ブルボン朝が途絶する。

1948年、カルロス王子がスペインに帰国。

1975年、フランコ総統の死後、カルロス王子がスペイン王フアン・カルロス1世として即位しスペイン・ブルボン朝が復活。

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