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人物編集

ナポレオン1世の最初の妻。

フランス領西インドマルティニーク島の生まれ。

先夫ボーアルネ子爵との間にウジェーヌ・ド・ボアルネオルタンス・ド・ボアルネを授かるが結婚当初から夫婦仲が悪く、双方の愛人問題もあり4年後の1783年に離婚。


離婚後は息子のウジェーヌは一時的に子爵が引き取り、自身は娘のオルタンスを連れてマルティニーク島に戻っていたがフランス革命の影響により現地の情勢が不安定になったことからフランスに帰国。


元夫らの助命嘆願などをするもその罪により投獄されてしまう。


獄中では、ルイ=ラザール・オッシュ将軍と恋人同士となったと伝わるが同年に釈放される。


一方でボアルネ子爵はフランス革命中に処刑されてしまう。


釈放後は生活のために総裁政府のポール・バラスの愛人となる。エキゾチックな美貌の持ち主であったことから社交界の花形となったことで「陽気な未亡人」と呼ばれた。


ナポレオンからの求婚もあり1796年に結婚するが、自身は次々と愛人を作り浮気を繰り返していたことでナポレオンの母や兄弟姉妹のボナパルト一族から憎悪を抱かれてしまっている。


ナポレオンの元婚約者であり、後のスウェーデン王国王妃となるデジレ・クラリーは二人の結婚にショックを受け、ジョセフィーヌに対してあまり良い感情は持っていなかったものの、ボナパルト一族の様にあからさまに嫌悪感を出さなかったという。

こうした事情もあったことから彼女の娘であるオルタンスからは気遣われ、彼女との仲は良かったと伝わっている。


エジプト遠征中のナポレオンに愛人と浮気をしていたことを知られてしまい、ナポレオンが兄弟にその事を嘆く手紙を送るも手紙を載せたフランス艦がイギリスに拿捕され、手紙の内容が新聞に掲載されてしまうという醜態をさらしてしまったことで離婚を決意され、家から荷物を叩き出されてしまう。


しかし、ナポレオンにとっても愛する子供たちであるウジェーヌとオルタンスの涙ながらの嘆願により離婚は阻止。ジョセフィーヌは夫からの愛を受け止め、向き合おうと決意するが、そんな思いとは裏腹にナポレオンからの愛情は次第に薄れてしまうことになる。


そんな渦中で1804年に皇后となるものの、子供が授からなかった事を理由に1810年離婚。(同年には娘のオルタンスとナポレオンの弟であるルイが離婚している。)


一説ではナポレオンが遠征で不在中に流産となり、そのまま不妊になってしまった、もしくは流産後の処置が原因で不妊になった説がある。また、遠征先に来てくれというナポレオンの誘いになかなか応じようとしなかったのは流産が原因ではないかとする説もあるが真偽は不明。


離婚式での彼女は娘のオルタンスが支えなければ歩けないほどショックを受けていた様子だったと伝わっている。だが、引き続き皇后の称号を名乗ることを許可され、それ以後、彼女はパリ郊外のマルメゾン城に住居を置くことになる。


オーストリア皇女のマリー・ルイズと結婚したナポレオンから今後、公式の場ではジョセフィーヌと皇后のマリー・ルイズを一緒に同伴させて出席するということを提案されるが、ウジェーヌとオルタンスが猛反発したことで白紙となっている。


息子のウジェーヌは母親が捨てられるような形で離婚になったことに対してナポレオンに激怒し、側近を辞する意思があることを伝えるとそれを聞いたナポレオンとジョセフィーヌの両者からの必死の嘆願によって思い留まっている。


離婚してもなお、ナポレオンから良き相談相手として重宝され、宮廷の社交界に大きな影響力が残っていたことはマリー・ルイズが嫉妬するほどであった。


フランスの社交界の貴婦人らしく豪華に着飾っていたジョセフィーヌとは対照的に厳かなオーストリア宮廷で育ったマリー・ルイズは質素でかつ倹約家であったために装飾品を取り扱う商人たちから"つまらない女"と評され、不人気であった。


ジョセフィーヌ自身が軍の将兵たちや多くの国民から慕われてたこともあり、彼女との離婚を決意したナポレオンに失望し、新しく皇后になったマリー・ルイズを嘲る者が多かったという。



ナポレオンに勝利し、パリに入城したロシア皇帝アレクサンドル1世からの訪問をたびたび受け、ウジェーヌやオルタンスとのちのナポレオン3世を含めた孫たちとマルメゾン城の女主人として、もてなしをしていたが、ある日、アレクサンドル1世とオルタンスとともに庭を散策していた中で体調を崩してしまい、そのまま床に伏せて急死。


最期に「ボナパルト、ローマ王、エルバ島…」と言い遺して亡くなっている。


アレクサンドル1世は臨終まで彼女の家族と付き添い、葬儀の指示や多くの従者を連れて葬儀に出席し、敬意を示したという。


エルバ島にいたナポレオンは彼女の訃報を聞き、衝撃を受けて暫く塞ぎ込んだ後に島を脱出している。





ジョセフィーヌと花編集

ナポレオンと離婚後のジョセフィーヌはマルメゾン城にて庭に温室を作り、そこで多くの職人たちと世界各地の薔薇を集め、研究と新しい品種の収集を行い、亡くなるまでの間に250種類以上の品種を生み出した。


亡くなった後は協力者であった職人たちの手でヨーロッパ各地に広がっていったことで「薔薇の女王」と評されることになった。


薔薇と同じくらい、ダリアも好んでいたと伝わっている。

ある貴族が彼女の手で育てられたダリアを見て譲ってほしいと願い出たが、ジョセフィーヌに拒否されたことに逆ギレを起こして愛人であるポーランド貴族を使って庭師にダリアの球根を盗ませることに成功する。


その貴族は庭に盗んだ球根を埋めてダリアが咲いたことに大喜びしていたが、話を聞いたジョセフィーヌは大激怒。実行犯である庭師を解雇し、加担したポーランド貴族を追放したという。ダリアの花言葉が「裏切り」なのはこの事件が原因とされている。



フィクションでの扱い編集

ルパン三世編集

  • TVアニメ第2シリーズ第12話「大統領への贈り物」:ナポレオンが彼女のために作ったワインが登場。ルパン一味は盗むが保存状態が悪かったらしく飲めなかった。
  • TVアニメ第2シリーズ第104話「もっとも危険な黄金ベッド」:ルイ14世が彼女のために作った黄金のベッドが登場。
  • TVアニメ第2シリーズ第122話「珍発見ナポレオンの財宝」:ナポレオンが彼女と離婚したのはハプスブルク家の財宝を手に入れるため。

最後のレストラン編集

  • 現代の日本の廃墟にタイムスリップした。探検に来ていた有賀千恵達と出会った。

関連タグ編集

ナポレオン フランス 薔薇 ダリア


外部リンク編集

Wikipedia

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