概要
1120年頃に平忠盛と結婚。忠盛との間に平家盛、平頼盛を産む。
1153年に忠盛が死去すると出家。六波羅の池殿で暮らしたことから池禅尼と呼ばれた。
1160年2月、平治の乱で敗れた源義朝の嫡男・源頼朝(13歳)が捕らえられる。
この時に頼朝は処刑されるはずだったが、池禅尼は平清盛に対して助命するよう嘆願したという。その結果、源頼朝は伊豆国に流罪という減刑に処された。
そして1164年に死去する。
その後の頼朝はこの時の池禅尼の恩を忘れず、頼盛を優遇し、平家滅亡後も頼盛の一族(池氏)は朝廷堂上人および鎌倉幕府の御家人として存続することができた。