概要
日本初の通信機器メーカーとして沖牙太郎が1881年(明治14年)創業させた明工舎が起源。一般的には略称の「OKI」「沖電気」で呼ばれる。
BtoBビジネスに重きを置く企業のため生産する通信機器はインフラに関連するものが主となっている。具体的には電話交換機、ATM、コピー機、防災無線、軍事向けのソナーシステムなどを生産しているため一般家庭で沖電気製造の通信機器を見かけることはまずない。
一般の人々がOKIの名を聞く機会と言えばニュース番組で放送されているコピー機CMくらいである。
NECとの関係
企業規模だけで言えば大差あるNECの創設に関わりを持っている。1898年(明治31年)に欧米の最新通信技術を得るために沖電気はアメリカのウェスタン・エレクトリック社と合弁会社を立ち上げる交渉に臨んだが、沖牙太郎が頑なに技術国産主義を譲らなかったため話は破断した。しかし、ウェスタン・エレクトリック社側の専属代理人として活動していた岩垂邦彦に惜しむ気持ちがあったため独自で会社設立へ動き出し、1899年(明治32年)に日本初の外資合弁企業・NECを設立した。
社会人スポーツ
1986年に陸上競技部を、1990年には女子サッカー部を、それぞれ創設した。特に陸上部は岐阜市で開催されていた頃の実業団女子駅伝の常連であり、3度優勝を果たしている。
だが女子サッカー部は1999年、陸上競技部は2009年にそれぞれ廃部となっている。
ちなみに女子サッカー部は本庄工場(埼玉県本庄市)のクラブチームだったのに対し、陸上部は関連会社の宮崎沖電気(現在のラピスセミコンダクタ宮崎、電子部品メーカー・ロームの関連会社)の所属であった。
出身選手
川上優子・・・アトランタオリンピック、シドニーオリンピック女子陸上10000m代表。90年代の陸上競技部全盛期を支えた。