概要
大日本帝国海軍が建造・運用した第百一号型輸送艦(二等輸送艦)の1番艦。
1943年12月1日に大阪造船所(現ダイゾー)にて起工、1944年1月25日進水。当初二等輸送艦は艦艇扱いではなく特設艦艇扱いであり、当艦も「第百一号特設輸送艦」の艦名となった。
3月8日に竣工した後は呉鎮守府所管の特設輸送艦として蘭印方面の輸送作戦に従事。
9月5日、艦艇類別等級別表改訂に伴い「二等輸送艦」の区分が新設された事から特設輸送艦から二等輸送艦に類別変更、「第百一号輸送艦」と改名。
アメリカ軍によるレイテ島上陸開始に呼応する形で10月19日に陸軍第三十五軍がレイテ島増援のため鈴二号作戦(第一次多号作戦)を発動、当艦は第二次輸送隊に組み入れられ、ボホール島からレイテ島への兵員輸送を命じられる。10月26日深夜にボホール島タガビラランを出発し、途中空襲を受けながらも28日早朝にレイテ島オルモックに到着。しかし揚陸作業中に再び空襲に遭い、沈没した。