精霊船
しょうりょうぶね
8月15日のお盆最後の夜に主に長崎市を中心に長崎県の各地で見られる行事の「精霊流し」で曳かれる船の名称。はるか昔には本当に川や海に流す船として作られていたが、現在の精霊船は船を模した山車のような物となっている。
この行事は長崎に伝来した中国文化の行事が採り入れられたものが起源だとされている。爆竹が鳴らされるのはその為。
なお、このメイン画像の様な精霊船は「初盆」を迎えた故人の供養の一環としてお盆前から作られる。
サイズも大きいものから小さいものと様々で、数人で担げるものから車輪を付けた大型船がよく見られる。
大型船には列車のように連結したものがあり、それは「もやい船」と呼ばれ地区単位で出す精霊船として曳かれるものである。なお、もやい船は長崎市の葬祭業者主催のものもある。
基本的には「西方丸」と船には名づけられており、屋形船の形状が多い。しかしながら変わり種な精霊船も少なくはなく、故人の生前に好きだったものや職業にまつわるもの(バス運転手だったらバスの形をしている)もあったりする。
基本的に仏教行事なのだが、教会や天主堂のある長崎市だけにクリスチャン(カトリック)の家庭の精霊船もある。8月15日は聖母マリアの被昇天の祝日でもある為、カトリック教徒はこの日を盆ミサと呼ぶ。この場合の精霊船には十字架や洗礼名が描かれる。基本的にカトリックにはこのような行事はなく、精霊船を出すのは少数派ではあるが故人を改めて偲ぶ意味がこめられているという。
通る道には爆竹を鳴らすのだが、これは通り道にある邪なものを祓うお清め的なものである。
また、曳く際の掛け声として「どんじゃん、どんじゃん、どーい!どい!」と言う。
また、人間だけではなく「亡くなったペット」の為の精霊船がペット霊園の主催でチラホラ見かけるようにもなっている。
「海や川に流さないなら、一体精霊船は最後にはどうなるの?」という疑問を持つ人も多いだろう。
精霊船が最後に着くのは「流し所」と呼ばれる場所に置かれるのである。
そして、役目を終えた精霊船は自治体によって翌日大量処分される。なお、流し所では即日重機で破砕される事が多かったが、その光景はあまりにも悲しく無残に映る為に翌日以降に行われる事が現在多くなっている。
特に本場である長崎市は毎年最も精霊船の数が多い為に最終処分場の清掃センターでは粗大ゴミの搬入が一定期間停止される。
さだまさしの「精霊流し」のイメージで見ると歌とのギャップの差に驚かれる事が多い。
まあ、特に長崎市ではお盆には墓地で花火を大量に飛ばしたりする弾幕と化しているのでそれくらいでは驚いてはいけない。
また、あくまでも故人らを偲ぶ行事なので、見物の際には節度を持った行動を願いたい。
なお、参加・見物の際には耳栓を準備することが推奨されている。
長崎市以外でも基本的に海に近い所では精霊船を出す風習があるが、一部にはそれがない。
精霊船は長崎の夏の風物詩である為、長崎放送とテレビ長崎では深夜に録画中継を放送しており、郷土研究家の解説も交えてその年の精霊流しを振り返っている。
特に長崎放送の精霊流し番組では長年に渡り郷土研究家の越中哲也氏が毎年解説するのがある種名物となっており、お年を召している氏の〆の言葉では「来年は私も精霊船に乗る事になるかもしれません」とコメントするのがお約束になっていた。
なお、越中氏のコメントには他にも「精霊船を長崎くんちの出し物のように激しく回したりするのがありますが、船の難破を思わせるから止めるべきだ」と苦言を呈している。
そんな越中氏であったが、2021年9月25日、99歳でこの世を去った。
そして翌年2022年のお盆最終日の精霊流しでは長年精霊流しを解説してきた越中氏がどんな精霊船に乗って極楽浄土へ帰られるのかと話題となり(実は一部では越中氏の逝去の段階で既に話題になっていた)、地元紙である長崎新聞でも一面から特集された程。
そして精霊流し当日、越中氏は住んでいた伊良林地区の昔ながらの製法で作られた「もやい船」に他の伊良林の故人達と一緒に乗って極楽浄土へ帰っていった。