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概要編集

舎人親王の王子、官位は二品、信部卿。


経歴編集

神亀4年(727年)に従四位下、天平15年(743年)に従四位上となる。弾正尹、治部卿を歴任し東大寺大仏開眼供養では伎楽頭となった。天平勝宝9年(757年)に道祖王が廃太子となり皇太子候補に選ばれたが最終的に弟の大炊王が皇太子となる、同年の橘奈良麻呂の乱では関係者の拷問にあたった。天平宝字2年(758年)に大炊王が即位し淳仁天皇となり、翌年に親王宣下を受け、船親王となる、後に信部卿、二品に進んだ、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では仲麻呂の計画に関与していたことで王に戻され隠岐国へ流された。


外部リンク編集

船王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇族 奈良時代 舎人親王

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