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概要編集

バブル期1990年に開催された万博。バブル期の開催だけあって、さらにテーマが花だっただけにとにかく華やかである。マジカルクロスのような本格的な遊園地まで作られてしまうほどに資金が投入され、報道では無駄遣いだ事故だが取りざたされることが多かった(のっけから事故があったのは事実である)が開幕三カ月目で来場者数が1000万人を突破するなど盛況で、最終的に総来場者数は2312万6934名(大阪万博に次いで2位、過去3回の万博中ではトップ)と、特別博覧会史上最高を記録した。寄付金の額も国際博覧会史上最高を記録している。

バブル期でも最も成功したイベントの一つである。


経緯編集

もともと大阪市の市制100周年記念イベントの予定で、1984年から企画されていたが、国の政策と合致し鉄冷え解消のため民間活力の導入を前提とした国内博覧会にスケールアップされる。

さらにその後万国博覧会にスケールアップされる。なんという出世魚


逸話編集

  • 会場の建設は急ピッチで進められたが、山のエリアに建設された国際庭園の一つパキスタン庭園は資材を輸送する船が故障し完成が開幕に間に合わなかった。だがこれがかえって同庭園を有名にし、建設の風景が展示代わりとなったばかりか、建設作業に励むパキスタンの職人たちには観客の声援が、時には差し入れも贈られた。5月7日の庭園の完成はちょっとしたイベントとなり、職人たちと観客が抱き合って泣く光景も見られたという。

  • 南太平洋諸国庭園で販売されていたヤシの実ジュース(定価800円)は同庭園のみならず万博の名物となった。実際に飲用した人によると当たり外れがあったという。ヤシの実に穴を開けてストローを刺して飲むというワイルドさが話題となったが、飲んだ後の殻の処理には暑さ対策の3億円を越える5億円という巨費が投じられたという。

  • 7月23日には秋篠宮両殿下が来場し、紀子様ブームが起こるきっかけの一つとなった。

  • 前回のつくば万博と同様、会場内に郵便局が設けられ、これだけを目当てに来場、入場する人もいた。

終了後編集

終了後会場は整備されて、花博記念公園として一般に開放された。

花は大半が撤去されたもののさまざまな国の建物の一部が保管されているため、気軽に異国情緒を楽しむことが出来る。

2000年代に入ってからはコスプレ撮影やロケに入る若者が多くなった。


pixivでは編集

専ら、マスコットキャラクターの「花ずきんちゃん」が描かれたものが多い。デザインを選定したのは審査委員長を務めていた手塚治虫であり、一般公募の中から一般女性の作品が選ばれ、彼の手によってアレンジされた(デザインが手塚治虫という情報も流れているのはこのためである)。この花ずきんちゃんは今も根強い人気を誇っており、マンホールのデザインにもあしらわれたりしている。


関連タグ編集

万博 1990年


鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線) 花博のアクセス路線として開業した大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)の路線。なお開業時は京橋駅鶴見緑地駅間のみで、他の地下鉄路線と繋がりのない孤立路線だった。


外部リンク編集

国際花と緑の博覧会 - Wikipedia

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