1755年(宝暦5年)、濃尾平野の治水対策で、木曽川、長良川、揖斐川を分流する工事を行うよう薩摩藩に幕命が下った。
薩摩藩は財政が逼迫しており、藩の弱体化を狙ったこの幕命に一戦交えるべきとの強硬論が続出。家老・平田靱負が強硬論を抑え、薩摩藩士は治水工事のため美濃へ赴く。
難工事に加え、幕府の役人による妨害工作も度重なり、責任を取って腹を切る薩摩藩士が相次ぐ。
掲載雑誌
1977年、『増刊ヤングコミック』(少年画報社)で連載開始。
1979年、『増刊ヤングコミック』が休刊。『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)で連載再開。
1982年、未完のまま連載終了。平田は劇画への意欲を失い、生活が困窮する。
余談
- ネットミーム化している「肝練り」(死人が出かねないのに若者が強制参加させられる宴会)のコマの出典は本作ではなく、作者の実弟であるとみ新蔵が描いた「薩南示現流」。
- ただし「ひえもんとり」は本作品でも描かれている。