概要
1932(昭和7)年、右翼思想に傾倒していた日蓮宗僧侶の井上日召らにより、前蔵相井上準之助や三井合名会社理事の団琢磨ら政府要人が暗殺された。
井上らは『一人一殺』主義を掲げ、非合法手段による現政体の破壊・国家改造を計画し右翼派海軍青年将校らに接触した。しかし同時期中国で第一次上海事変が勃発し、海軍有力者が中国に出征したため、井上らが単独で犯行を行った。
事件後
事件後事件に加わった団員らは検挙され、井上は無期懲役判決を受けるが、1940年、大赦により釈放。出獄後は近衛文麿の相談役を務め、戦後公職追放を受けるが、GHQによる日本占領終了後、護国団を結成し、主任を務める。
因みに事件の同年5月には海軍青年将校らによる首相暗殺事件(五・一五事件)が発生している。