もしかしなくても → スーパークリーク(ウマ娘)
概要
西松屋は小児用雑貨専門店。そう、つまりは走るバブみ。それが彼女なのである。
ゲーム版では、後述する武豊とのエピソードをモチーフにしたと思われる、あえて新人トレーナーを自分の担当に指名する流れがあり、トレーナーに指導を受ける立場ながらたびたび逆にトレーナーを甘えさせようとしてくる。
またクリークのSSRサポートカードは、回復スキル「円弧のマエストロ」取得のため、スタミナ強化用のサポカとして極めて需要が高く、全国のゲーム版トレーナーが日夜彼女の母性にお世話になっているものと思われる。
……が、その母性は時に暴走気味(?)になることも。
トレーナーに対しては隠れた趣味として、赤ちゃん言葉であやしつける「でちゅね遊び」をたびたび持ち掛けてくる。
また、友人・ライバルであるオグリキャップ・イナリワン・タマモクロスに対しては、3人が乳児化する夢を見て驚くどころか大喜び、夢の中の話とはいえ率先してあやしにかかっている。
一部トレーナー達からは「見方によってはゴルシよりやべーやつ」とみられることも…。
武豊との関係
日本に名だたる名ジョッキー武豊。1988年の菊花賞にて、当時はまだ若手騎手だった彼に初のGⅠ勝利をもたらした馬が、モデル馬のスーパークリークである。
この菊花賞直前、武が騎乗可能な馬は何頭かおり、馬の状態を見極めるため武は馬房を回って確認していた。そしてスーパークリーク号の馬房でしばらく観察し立ち去ろうとした時、クリークが武の袖をくわえ、離さなかったという。
「どこへ行くんだよ、他に見る馬なんかいないだろう。俺に乗ればいいじゃないか。」
武はそう言われた気がしたといい、これをきっかけにスーパークリークに乗る腹を決めた。
しかし、クリークは18頭立てのレースに対して収得賞金順で19番手、すなわち回避馬(キャンセル)待ちの状態だった。それでも武は「クリークで出られないのなら仕方ありません」とこの馬にこだわり、2頭の回避馬が出たことで出走権を得ることができ、勝利した。
以上のエピソードは後年「逆指名」と評されている。
(なお、この菊花賞の2着はクリークと同額の19番手タイから、共に滑り込みで出走枠を得たガクエンツービート。GⅠとしては大変珍しい「収得賞金下位2頭によるワンツー」となった。)
武はスーパークリーク号の現役中から本馬について「初めて僕が惚れ込んだ馬です。誰にも渡したくありません」と語り、後年にも自分を成長させてくれた馬として「この馬に出会っていなかったら、僕はこんなに多くのGⅠに乗れる騎手になれていなかった」と述べている。
後年、JRAから付されたキャッチコピーは「天才を天才にした馬」。
バブみは創作だけではない。名ジョッキーを人馬一体で育てた史実があってこそなのである。
なおモデル馬は母の父として、松永幹夫騎手に最後の重賞レース騎乗である2006年阪急杯(GⅢ)で勝利をもたらしたブルーショットガン号(父:サクラバクシンオー)を送り出している。
このブルーショットガンの母であるオギブルービーナスの牝系のみが、現代にスーパークリークの血をつないでいる。