概要
H-Iに次ぐ日本の液体燃料ロケット。NASDAと三菱重工により開発された。国内技術の進歩を図って高い信頼性と低コストで打上げを可能にし、1990年以降の2t級静止衛星の需要増加に適応することを目的として開発された、日本初の大型ロケットである。
また、これまでアメリカに依存していた第一段をはじめ、全てのシステムが国産化された、純国産ロケットである。
運用
肝となる第一段エンジンLE-7の開発に手間取り(宇宙開発、ましてや初の国産化される部分であるため、よくあることであるが、開発中には死亡事故も発生した。)、運用開始が数年遅れたものの、1994年に初の打ち上げを迎え、順調な滑り出しを見せた。
しかし、後半では5号機(6号機より後に打ち上げ)での第二段の早期の燃焼停止による打ち上げの一部失敗を皮切りに、数々の問題に悩まされた。また、当初コストカットを目的として開発され、開発費用はかなり低く抑えることができたものの、打上げコストは1機あたり190億円でアリアンロケット(ヨーロッパ)などより遥かに高く、100億円以下が標準の国際市場での競争力は無かった。背景として円高が急激に進行してしまったことがある。
結果、打ち上げコスト半減を目的としたH-IIAの開発が決定、8号機を打ち上げ、その後の7号機で製造を打ち切ることとした。
しかし、今度はその8号機が打ち上げに失敗、今度は第一段エンジンの故障によるものであった。
そのため7号機の打ち上げはキャンセルされてしまい、リソースを原因究明とH-IIAの開発に集中することとなった。
また、この失敗により、顧客の喪失、宇宙機関の統合、日本の気象観測など、多方面への影響が生じることになった。
余談
後継機が順調に回数を積み重ねている影響や、成果が目立ちやすい科学衛星を打ち上げるISASの衛星および同世代のM-Vが目立つためか、やや地味な存在となっている(NシリーズやH-Iほどではないが)。よくわからない人には筑波宇宙センターにあるロケットと言えばわかりやすいかもしれない。
打ち上げ中止となった7号機は、今も種子島宇宙センターに保管されており、見学の際に実機を見ることも可能。
関連タグ
後継機