フクシマはもうたくさんだ、という意味の英語のフレーズであり、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故を批判する意味で用いられる言い回し。
東京電力が運営していた福島原子力発電所における苛酷事故は、直接的・間接的に日本全土を巻き込む被害をもたらしたため、もうあんなのはまっぴらごめんだという率直な感情が表現された言葉である。
原子力被害を巡る裁判では主に原子力施設に対して科学的に予測されたはずの規模の災害への対策を事業者が怠った義務違反などが争点となった。
日本国の司法は損害賠償請求に関わる複数の裁判で電力会社の非を認定し、判事が「原子力災害の防止に万全の措置を講じる責務を負う事業者として、地震や津波の危険性に誠実に向き合って予見し、真摯に対応していたとは到底言うことはできない」
と批判して裁判所は結果回避可能性を認め、事業者の責任を認める判断を下したことからも、運用において問題点があったことは議論の余地がない。
日本政府は2020年代になって再びなし崩し的に原子力を積極利用する方向へ舵を切ったものの、災害大国ということを念頭に置かなければ、第二第三の「フクシマ」が起こりうる危険性は決して低くない。
当事者となる地域住民や国民の立場からすれば、そのような条件下での運用そのものの合理性を根本的に否定し続けることは正当な道理である。
また、政府が強気に原子力を継続して行くのだとしても、であるならば猶更過去の破局的な被害から学んだ教訓を今後の原子力計画に織り込む事が厳に求められているのであり、このフレーズは一面的な原子力批判の意味合いを持つだけでなく、むしろ運用主体側もまた異なる意味でノーモア・フクシマをポスト3.11の基準としなければならない。
そういった意味で、この言葉を単に原子力否定のスローガンと硬直的に決めつけることは何らの生産性ももたらさない。
恐らく元ネタ
これは恐らく長崎市に落とされた原爆の被害者となった山口仙二氏(1930-2013)が1982年にニューヨークで開かれた第2回国際連合軍縮特別総会の全体委員会で、NGOを代表した演説での締めの言葉「ノーモア ヒロシマ。ノーモア ナガサキ。ノーモア ウォー。ノーモア ヒバクシャ。」である。
つまり、「核兵器」が使われた背景・それがもたらした悲劇への怒りの言葉が原子力災害へと転用されたものである。