小早川氏は代々沼田川東の「高山城」を居城としていた。
新高山城の部分は高山城の副塁であったとされる。
しかし小早川隆景が跡を継いだ際に「人心一新」をスローガンに沼田川の反対側に「新高山城」を築いたとされる。
高山城同様岩山の上に築かれた城である。
全長198メートルの山に築かれた堅固な城であった。
1561年には毛利元就、隆元が数日間滞在したとされる。
その後隆景は名島城に移り、隠居後再び三原に帰った際には三原城を隠居城として改修することとなる。
その際に新高山城の石垣を残らず三原城に移したとされる。
しかし、礎石や大石垣など未だに多くの石が残されている。
2017年には続100名城に認定された。