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モスキートの編集履歴

2015-02-22 14:36:45 バージョン

モスキート

もすきーと

モスキートとは、英語で蚊のこと。爆撃機やキャラクターの名前に用いられている

モスキートとは、英語での意味(mosquito)。下記のものの名前に付けられている。



ミサイルのモスキート

ラドゥガ設計局が開発。

艦対艦型はP-270、空対艦型はKh-41と呼ばれる。

小型のKh-35(AS-17 クリプトン)は非公式愛称でミニモスキートと呼ばれている。

SU-33に搭載可能な派生型はASM-MMSと呼ばれる

米国防総省報告番号はSS-N-22、NATOコードネーム「サンバーン(日焼け)」。

空対艦型はSu-27等の戦闘機や攻撃機の胴体部へ搭載可能だが、全長9.745m・直径0.74m・重量4,000kgと超大型となっている。

射程は90~250km。

固体ロケット推進からラムエアジェット推進へと切り替わる、インテグラル・ロケット・ラムジェット(IRR)エンジンで飛行し、最高速度はマッハ3~2.2程。

弾頭は重量300kgの徹甲弾頭または200kt核弾頭(理論値ではマッハ2の運動エネルギーは弩級戦艦の主砲級となる)。

通常のジェットエンジンと違って圧縮機がなく、始動時に高速飛行が必要なラムエアジェット推進だが、IRRでは初期は固体ロケット推進のため、低速な艦や攻撃機等でも運用が可能になっている。


実験や実戦で迎撃を経験したわけでないので不明な部分は多いが、マッハ3~4と超音速で突入し30秒程度の迎撃時間しかないこのミサイルを確実に迎撃できる保証は無い。

もし迎撃に失敗すれば現在の装甲の薄い艦は一発で粉砕されることになる。


エースコンバットアサルトホライゾンにこのミサイルを基にした架空兵器であるExperimental Weapon 1(EW1)が登場する。

弾頭はトリニティ弾頭に変更されKh-31のように主翼下に懸架出来る程度に小型化されている。

外見はP-900 クラブA(SS-N-27 シズラー)のような主翼格納型巡航ミサイルに似た外見となっており、IRRエンジンの特徴であるラムエアインテークはKh-35(ターボファンエンジン)のように下部に小さくあるのみと、別物となっている。

エースコンバットインフィニティのDubai Night Assault限定の緊急ミッション「巡航ミサイル群迎撃」で再登場。

弾頭は通常爆弾に変更されているようだが、大量に登場する上に相変わらずの変態高機動で、後方に付きっぱなしになれるDFMモードを持たない今作では撃墜は困難である。


爆撃機のモスキート

モスキート B Mk.IV

正式には「デ・ハビラント DH.98」。第二次大戦中にイギリスで開発された。機体は木製で、2基の高性能エンジンを持つ双発機。元は爆撃機だが、偵察機や戦闘爆撃機として知られる。また夜間戦闘機としても有名。「木製の脅威」との呼び名を頂戴している。木製という事でレーダーに察知されにくいというのも大きな強みだった。


The Wooden Wonder(木製の脅威)

元々、デ・ハビラント社(以下DH)は木を使った航空機を得意としていた。

1930年代にイギリス航空省の指名を受け、開発が開始された。


イギリス家具と航空機

この指名には、かねてから航空機用アルミが不足している事や、それまで活用されていなかった家具工場(木工所)の活用も考慮されていたという。


逆転の発想

DH.91の設計をもとに開発が開始された。

当初はこの4発機を双発にし、機銃座を3つ設置する構想であったが、それでは平凡な性能しか期待できなかった。そこで何度もあれこれと試行錯誤する内に、新しい発想が浮かんだ。「重い銃座を降ろしてみよう」と。一つ降ろすごとに性能は改善され、高速だけで敵を振り切れる高速機になると期待した。最終的な案では「約450kgの爆弾を積んで650km/hで2500km飛行できる」と計算された。


空軍の不安

ところが1938年10月、空軍省はこの構想を中止した。「防御火器を持たない木製爆撃機」が、本当に使い物になるのか疑問に感じたからだった。しかし、DH側は自社での独自開発を決定。のちに空軍内部にも支持を得て、1940年3月に爆撃機50機の注文を取り付けた。


切迫する戦況

1940年6月、ダンケルク撤退。

これを受けて空軍省は試作中止を命令。航空機増産のためである。翌7月には再び計画再開したが、

発注は爆撃機20機と戦闘機30機、さらに偵察機の開発に変更された。


爆撃機の完成

発注から10ヶ月、1940年11月に最初の試作機が完成した。時あたかもバトル・オブ・ブリテン真っ只中の事であった。これを改修した「B mk.Ⅳ(4)」は500ポンド(約225kg)爆弾を機内に4個搭載し、主翼のパイロンにさらに2個、もしくは増槽を搭載できる。


戦闘機

やや間があいた1941年5月、戦闘機の試作型が完成し、これを改修して「F MK.Ⅱ」として生産された。武装は双発の利点を生かし、7.7mm機銃と20mm機銃を4門ずつを機首に集中して装備された。


もちろん、双発戦闘機なので単発戦闘機に正面切って戦う訳にはいかない。半年後にはレーダーを踏査した夜間戦闘機「NF Mk.2」が完成している。この夜間戦闘機は多くのドイツ機を「返り討ち」にし、パイロットには好評、ドイツ空軍にとっては終戦まで「目の敵」であり続けた。


もちろんドイツもこれに対抗。数々の夜間戦闘機を開発・生産したものの、一つとして有効な対抗機は無かった。戦闘爆撃機としてもよく活躍しており、「FB Mk.Ⅵ」の活躍は有名である。この意外なユーザーには中華民国(国民党)があるが、これは後述にて。


ジョン・『猫目』・カニンガム

イギリス夜戦のエースパイロットであり、特に有名なのは逸話である。当時、イギリスの軍事技術はレーダーが優れており、その秘匿の為に彼が広告塔となったのだ。いわく『カニンガム達の飛行隊では、毎日ニンジンを食べることで夜目を養っている』というものである。


この話にはブルーベリーという異説もあり、『アントシアニンやカロチノイドが目に良い』根拠ともなっている。しかし、実際にはイギリス情報部の流した根拠のないデマ話であり、現在でもこれらの効果は証明されていない。ちなみに、当時のドイツ軍はこの話を信じていたという。


国民党のモスキート

中華民国(国民党)がモスキートを導入したのは大戦後の話である。


当時、すでに共産党に劣勢となっていた国民党が求めたのは「安価な攻撃機」だった。そこでカナダ製のモスキート(中古)が180機購入・輸入された。


しかし、木製機は高温多湿のアジアではただでさえ痛みが早く(実際にビルマでは「胴体にキノコが生えた」という事例も)、その上何を考えたのか「船積みで輸入」としたため、波を被るなどして28機が失われた。また、そうでなくとも全機がそれなりの「痛み」を抱えてしまい、訓練が終わるまでに50機以上が失われた。(おそらく輸送中の分と合算)


こうして高いハードルを越えて実戦に投入されたものの、共産党はゲリラ的行動が主であり、有効な打撃を与えるには至らなかった。最終的には少数だけが生き残り、台湾へ撤退している。

撤退したモスキートは全機が廃棄された。


猿真似

モスキートの高性能に目をつけたドイツ空軍は、何を思ったかフォッケウルフ社に全木製高速双発戦闘機の設計を命じた。


その名もTa154『モスキート』。ってまんまかよ!

Bf110Ju88の速度性能に限界を感じ始めていたドイツ空軍期待の星だったが、

爆撃で接着剤の工場が破壊され、代替品をテストしたところ腐食が激しく使い物にならないことが判明。量産化は断念された。


接着剤

大戦中は厳重に秘匿され、ドイツでさえコピーに苦労した接着剤である。

この接着剤の正体は酢酸ビニル樹脂を使ったもので、現在では「木工用接着剤」として広く普及しているもの。戦争中の機密も、現在はこうして誰でも簡単に購入できることは感慨深いものがある。


偵察機

モスキートのシリーズ最後発となったのが偵察機である。1941年6月10日に原型機が初飛行し、9月20日には初の任務を行っている。爆撃機型よりさらに軽量化されており、飛行性能には磨きがかかっている。


この高速機の撃墜は至難の技で、ビルマで黒江保彦が撃墜できたのは運だけではない。末期にはMe262が登場して優位は失われたが、さらに排気タービンを装備した改良型が登場している。

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