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アブドーラ・ザ・ブッチャーの編集履歴

2016-01-13 22:33:29 バージョン

アブドーラ・ザ・ブッチャー

あぶどーらざぶっちゃー

「黒い呪術師」の異名を持つ偉大なる悪役(ヒール)レスラー。

『おれは忘れねえッ!ファンが愛してくれるのは強いブッチャー、悪役でも一生懸命なブッチャーだってことを!!』

プロレススーパースター列伝から抜粋


概要

カナダ出身。生年月日は1941年1月11日(1936年生まれという説もあり)。

得意技はフォーク等を使った凶器攻撃の他、空手の貫手を応用した地獄突き

決め技はエルボードロップ


流血戦を得意とする凶悪なヒールであったものの、額に刻まれた無数の傷跡から自らも大流血する“やられ上手”な側面もあった(日本では一時、この額の流血から“血拓”をとる行為が、ファンの間で流行した)。

また、どこかユーモラスな風貌と憎めない愛嬌さが絶大な人気を集め、CMにも起用された他、『愛しのボッチャー』(河口仁)など、漫画やアニメにおいて彼をモデルとしたキャラクターが次々と生み出された(後述)。


1961年頃にデビュー。カナダ、米国各地を転戦、1970年初来日。

ジャイアント馬場をはじめ、ザ・デストロイヤーザ・ファンクスハーリー・レイスといったトップレスラーと血みどろの抗争を国内外繰り広げて徐々にトップヒールしての存在感を高めていった。

日本では機会が少なかったものの、アメリカではブルーザー・ブロディともたびたび抗争を展開しており、『世界のプロレス』(テレビ東京)でもゲージデスマッチの模様が放送されている。


1990年代に入ると、第一線からは退き流血試合は影を潜めて前座で観客を暖める役割を担った。

しかし、90年代中頃、長年主戦場としていた全日本プロレスを離れて、日本国内にある幾多のインディペンデント系プロレス団体に次々と参戦。ここにきて凶器攻撃や流血戦の封印を解き、「黒い呪術師」復活をアピールした。


2000年代以降はWRESTLE-1、ハッスル、ドラゴンゲートなどの団体に参戦。

また、古巣の全日プロや新日本プロレス(引き抜きにより1981-1985年の間に活躍)スポットながら参戦していた。


2012年1月2日、現役引退を表明。

(それ以前に地元のカナダやプエルトリコでそれぞれ引退表明をしていた)

来日回数は140を超えており、歴代外国人レスラー最多。


影響を与えたキャラクター

上記の通り彼をモデルにしたキャラが次々と誕生しており、その影響がいかに絶大なものか伺い知ることができる。

以下はその一例。


ネーミングはブッチャーと当時全日プロの常連悪役レスラーだった、キラー・トーア・カマタを合わせており、命名したのは大のプロレスファンで知られるSF作家の高千穂遙

安彦良和にブッチャーの写真を参考にキャラデザインを進めさせたという。


もはや、説明不要。


名前と白いズボンから見ても明らかに意識しているとしか思えない。

ちなみにファミコン版とMSX版はウーという名前だった。



関連動画

入場テーマ曲 吹けよ風.呼べよ嵐(ピンクフロイド)

しかし全日プロからはいわゆる「(日本テレビの選曲による)凶悪レスラーの入場曲」という扱いで特に誰のテーマ曲とは決まってはおらず、ブッチャーと同時期に全日プロを暴れまわったザ・シーク、後に移籍したタイガー・ジェット・シンもこの曲で入場したことがあった。

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