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概要編集

本名:リチャード・ジョン・ベイヤー(1930年7月11日~2019年3月7日)

アメリカ合衆国出身の覆面レスラー。

リングネームとしては他にディック・ベイヤー(素顔)、ドクターX

短足でガニ股なのを利して足4の字固めをフィニッシュ・ホールドとしたが、瞬発力に優れ空中殺法も得意としていた。

日本プロレス時代に初来日して「白覆面の魔王」と呼ばれ、創成期の日本のプロレス界を盛り上げた功労者である。

親日家として知られ、引退後も来日して現役時代に住んでいた麻布十番に立ち寄ったり、プロレスの会場に顔を出したりていた。


略歴編集

1930年7月11日、バッファロー市(ニューヨーク州)にドイツ移民の子として誕生。家庭は貧しくミドルスクール修了後は就職する予定だったが、成績優秀者だったため担任教師が両親を説得し、特待生としてハイスクールに進学。


1949年、スポーツ特待生としてシラキュース大学教育学部に進学。アメリカンフットボール、水泳アマレス野球の選手として活躍。

1952年、彼がキャプテンを務めるシラキュース大学アメリカンフットボール部が全米大学選手権で優勝。

1954年、シラキュース大学大学院修士課程を修了。10月15日、デイトン市(オハイオ州)で「ディック・ベイヤー」のリングネームでプロレスラーとしてデビュー。五大湖エリアを主戦場にベビーフェイスとして活動したが、人の良さそうな顔のせいか人気は今一だった。


1962年、プロモーターの要請で渋々ながらヒールの覆面レスラー「ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー」となると、人気が沸騰。

1963年、初来日。日本プロレスのリングで力道山と死闘を繰り広げる。

1968年、AWAに覆面レスラー「ドクターX」として参戦。

1972年、全日本プロレスを旗揚げした盟友・ジャイアント馬場のために参戦。「馬場に負けたら助っ人として日本に残る」と宣言し、敗れたため約束を果たす。

1973年、全日本プロレスの所属選手となり、麻布十番に住む。バラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」(日本テレビ)に1978年までレギュラー出演。

1979年、全日本プロレスを離れ、カナダを主戦場とする。

1993年、引退試合を行う。


2017年、日本政府より旭日双光章を受章。

2019年3月7日、バッファロー市の自宅にて逝去。享年88歳。


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