インペラートル・カエサル・アウグストス
いんぺらーとるかえさるあうぐすとす
アウグストゥスの記事も参照。
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
PONTIFX MAXIMVS
CONSVLⅩⅢ
TRIBVNICIAE POTESTATIS ⅩⅩⅩⅦ
IMPERATOR ⅩⅩⅠ
PATER PATRIAE
国父,執政13回,護民職権37回,将軍万歳21回,最高司祭
アウグストゥスの記事も参照。
本名ガイウス・オクタビヤヌス
初代19歳で執政に就任以来76歳で死ぬまで一貫して、『ローマ軍最高司令権限保持者・市民の中の第一人者』=元首としてローマ全軍を指導し、ローマの行政権の全権をつかさどった。
カエサル惨殺後、オクタビヤヌスは19歳にして後任の元老議員とコンスル職に就任し、3統領ローマ元首の一人アントニウス一派を滅ぼし、ローマ国政の全権を掌握した。
戦後、オクタビヤヌスは『共和制復帰』宣言でローマの戦時体制を終結を宣言し自身の権力を全て元老院に返還した。
しかしセナートス(元老院)は全ての権力を返還したオクタビヤヌスを称え『アウグストゥス(偉大な者)』の称号を彼に与えたうえ、インペラートルなどの権限を引き続き権力の一部を委託した。
彼はいったん断ったが、了解した、この時35歳であった。
彼はその後76歳で死ぬ41年間にインペラートル(最高司令)以外のローマ政治の役職には全て公式にはつかなかった。その代り彼は共和体制下で民会で役職を決めていた護民職やコンスル職などを役職の代行権限をセナートス(元老院)求め、承認された。
ローマ元首はコンスル強化版ではなかった
当時のセナートスの議員の多くはオクタビ=アウグトスの地位が既存のローマ元首だったコンスル(2名)の『強化版コンスル』ぐらいのものだと思ったのだろう。しかし時がたつにつれ彼の権力がローマ政治界史上例を見ない超越的権限だというを思い知らされることになるのである。彼の統治はある意味彼自身が中央政府的な存在となり元老議員や将軍を適材適所に設置していくことであった。しかもローマ世界に彼の決定を覆せるものは存在しなかったのである。
『ローマ帝国軍』誕生
オクタビ=アウグストスは共和制復帰後も一応インペラートル権限を元老院から委託されていたのでその間に全ローマ属州の主要な属州も元首直轄で運営できるようにし、これも元首属州直轄にローマ属州民などよりからなる常設軍団(ローマ帝国軍)を創設、ローマ全土の防衛も全て担う存在となった。
これらの軍団の統制権は全てインペラートルであるローマ元首だけが動かせることになっていた。
最高司祭に
オクタビ・アウグストスは老衰で亡くなったかつての3統領のレピドゥスの保有していた権限最高司祭(ポンティフェクス・マクシムス)に就任した。これによってこれ以降はローマ元首=ローマ司祭という不文律が完成した。
国父、玉座へ
晩年に入ったアウグストスは30年以上ローマ統治が認められて元老院より国父の称号を得た。これは国父席に座ることが許される権限であり、玉座とほぼ変わらない。
余談
オクタビ=アウグストスは養父であり終身公認独裁者(ディクタトール)となったユリウス・カエサルと違って、元老院からたびたび独裁者の就任申請されても頑として拒否をした。
後任独裁者職はローマ元首とは違いローマの政治職に組み込まれた安定した強権職であったが、野心あふれるカエサルはローマ王に憧れるあまり、『安定した独裁者』になろうとし斬殺された。
オクタビヤヌスはそれを踏まえてあえて『安定した独裁者』ではなくあえて自身の地位が確定しにくい方をえらび『既存の公職の合法的兼任』を進めた、しかし結果としてこの方法はある意味ローマ世界を超えた無限権力をもたらすことになった。半面、その権力や地位を保証するものはないに等しかった。よってその超絶権力の屋台骨となっていくのが軍団などの暴力組織だったのは経緯としては妥当ではある。
年表
紀元前58年、14歳の時オクターの父が死に、母方のカエサル家のもらい子となる。
紀元前43年、16歳の時虚弱ながら無理やり古代オリンピックに出場する。
紀元前46年、17歳の時にカエサルの部下の隊長として従軍、負けまくるも生き延びた指揮力をカエサルに見込まれカエサルの息子となる。
紀元前47年、18歳の時にカエサル暗殺の知らせの報告を受ける、議席うめの元老議員に選ばれる。
紀元前44年、19歳の若さでローマ元首(コンスル)に就任、最年少記録である。
紀元前31年、31歳の時にアクティウムの開戦で完全勝利しローマの人心を掌握に成功、
紀元前27年、35歳の時に万雷の拍手喝采の中ローマニア共和制復帰 治世57年
その他
皇帝紫・・・アウグストォスが初めて用いた紫色のマント
月桂冠・・・元はギリシア文明(古代ギリシア)からの運動選手や英雄などがもちい、ローマでは執政者や将軍が用いた。ローマ帝国では『元首』などが用いたので皇帝の象徴
体の体質
文献によるとアウグストスは「色白」で「眼の色・髪が輝いていた」らしく、普通のローマ人(茶色・黒色)髪や目の体の色と違っていたそうである。ほとんどの文献では金髪・白人系だったなどの仮説が立つが、もしかして彼は「アルビノ体質」体質だったのかもしれない。
彼は「数時間日光に当たっていることができない」「目が以上に弱い」「入浴が体に悪いらしくローマ人が好む入浴もあまりしなかった。」などの疾患などもあったそうであり、『アルビノ』は生まれつき虚弱なことが有名である。
古代
ロムルス・アウグストゥルス・・・欧州での最期の継続ローマ皇帝
中世
クロヴィス1世・フランクの開王
アナスタシウス1世 ビザンツ皇帝 クロヴィス存命時のローマ皇帝、東西教会の分裂大シスマの時の皇帝
東西教会
フランク=ローマニア(俗称:フランク王国)