概要
高校卒業後はサラリーマンや板前をしていたが、1972年、新日本プロレスに23歳で入団。長らくアントニオ猪木の練習相手を務めていた。
デビューから関節技中心の地味な試合運びで、前座試合を永く戦ってきたが、1984年2月3日に札幌で花道を行く長州力を襲撃。「昭和のテロリスト」と呼ばれ恐れられた。
スーパータイガーとの試合は今も語り継がれる名勝負となった。
新日復帰~UWF(第二次)再興を経て1991年にメガネスーパーとともにプロフェッショナルレスリング藤原組を興す。
また、関節技を主体とした独特のファイトスタイルから「関節技の鬼」という異名も持つ。
現在は弟子が独立(パンクラスとバトラーツ)して藤原組は個人事務所としての存在になっている。
関連イラスト
WWEでは脇固めを彼に因んで「フジワラ・アームバー」と呼んでいる。