なお、黎明期~第二次大戦期までの空母は同じ偵察艦艇として巡洋艦との交戦を想定しており、そのため舷側や艦内に装甲を張ったものも多いが、それらは装甲空母とは呼ばれない。
飛行機が発着艦する広く平らな飛行甲板を装甲し、敵の攻撃で使用不可となるのを防ぐ事は、軍艦が大砲を操作する場所を装甲で覆って砲塔にするのと同様だが、なかなか為されることはなかった。空母の飛行甲板は下に格納庫があるため海面から高い位置にあり、砲塔と違って面積が非常に広く、装甲化すれば大重量となり、「重心が不安定になる」「浮力を稼ぐため船体が大型化しコストが悪化」などのデメリットがあった。
それでも空母が重要なものであれば装甲化は必要である。
最初に取り組んだのはイギリスで、イラストリアス級が建造された。飛行甲板装甲化によるトップヘビー対策として海面からの高さを低くする為に格納庫を二段から一段にした事で1番艦のイラストリアスの搭載機数は元となったアーク・ロイヤルから半減して30機余りと、軽空母並みの少なさである。ドイツ空軍の急降下爆撃機や日本軍の特攻に耐え、同級6隻と改良型のインプラカブル級2隻の全てが第二次世界大戦を生き延びた。
次いで日本が建造したのが大鳳で、こちらもイラストリアス級と同様の理由で元となった翔鶴型より搭載機数が減少している。大鳳は初陣で潜水艦に沈められたため、装甲甲板の有効性を試す機会もなかった。
大和型戦艦を改造した信濃も建造された。搭載機をほとんど持たず、攻撃隊は後方の無装甲空母から発進させて無敵の中継前線基地として活躍させる構想があったと伝えられるが、未完成のまま回航中、潜水艦の雷撃で沈没した。
戦後、アメリカがミッドウェー級を建造した。エセックス級の1.7倍の排水量に拡大され、装甲空母ながら搭載機数は100機の大台を越した。現用のニミッツ級も装甲甲板を持っていると言われている。