ソヴィエト社会主義共和国連邦海軍(Военно-Морской Флот Союза Советских Социалистических Республик)のこと。
「ソ連海軍(Военно-Морско́й Флот СССР)」という名前は、ソ連中央執行委員会及び人民委員会議の1937年12月30日の決議「ソ連海軍人民委員部の構成について(Об образовании Народного комиссариата Военно-Морского Флота СССР)」の後、1938年から公式文書に最終的に定着した。この時までソ連海軍は「ソ連労農赤軍海上戦力(«Морские силы Рабоче-Крестьянской Красной Армии Союза ССР»もしくは«Военно-Морские Силы РККА СССР»)」と呼ばれた。
1917年、ペトログラードで防護巡洋艦アヴローラの号砲によって十月革命(ボリシェヴィキによるクーデター)が始まった。海軍の水兵たちはボリシェヴィキの支持者であったが、独裁化するボリシェヴィキ政権に対し次第に対立するようになった。
1921年、クロンシュタット軍港の水兵たちが蜂起し、赤軍に鎮圧された(クロンシュタットの反乱)。
旧ロシア帝国海軍の艦船は、ウクライナ人民共和国・ウクライナ国に接収されたものもあったが、最終的には赤色艦隊に再集結された。
大陸国であるソ連で海軍は長らく赤軍の一部門だったが、1946年、「ソ連海軍」として独立を果した。
キューバ危機を経て、1970年頃から、ソ連は本格的な外洋海軍の建設へ向かう。しかし、ソ連崩壊で海軍力の増強は途絶えた。
現在ではCIS諸国の海軍に分離しており、その中心はロシア海軍である。
構成
ソ連海軍は次の兵科より構成された。
- 潜水艦隊(подводные лодки)
- 水上艦隊(надводные корабли)
- 海軍航空隊(морская авиация)
- 沿岸ロケット砲部隊(береговые ракетно-артиллерийские войска)
- 海軍歩兵(морская пехота)
その構成には軍艦、補助艦隊の艦艇、海軍スペツナズ部隊、その他の小区分も含む。
主な兵科としては、潜水艦隊および海軍航空隊が挙げられた。それを除くと、ソ連海軍の構成には後方部隊や後方組織も含まれた。
ソ連海軍司令部はモスクワに置かれることになっていた。
編成
- 赤旗勲章二度受章バルト艦隊(Дважды Краснознамённый Балтийский флот)
- 赤旗勲章受章北方艦隊(Краснознамённый Северный флот)
- 赤旗勲章受章太平洋艦隊(Краснознамённый Тихоокеанский флот)
- 赤旗勲章受章黒海艦隊(Краснознамённый Черноморский флот)
- 赤旗勲章受章カスピ小艦隊(Краснознамённая Каспийская флотилия)
- 赤旗勲章受章レニングラード海軍基地(Краснознамённая Ленинградская военно-морская база)
ソ連海軍総司令官
ソ連国防省の代表でもある、ソ連海軍総司令官(司令官、共和国海軍指揮官、人民委員、大臣)がソ連海軍を指揮した。海軍の参謀本部はこれに従属することになっていた。
名前 | 任期 |
---|---|
ドゥイベーンコ、パーヴェル・エフィーモヴィチ | 1917-1918年 |
イヴァノーフ、モヂェースト・ヴァシーリエヴィチ | 1918年 |
アリトファーチェル、ヴァシーリィ・ミハーイロヴィチ | 1918-1919年 |
ビェーリェンス、イェフゲーニィ・アンドレーエヴィチ | 1919-1920年 |
ニェーミッツ、アレクサーンドル・ヴァシーリエヴィチ | 1920-1921年 |
パンツェルジャーンスキィ、エドゥアールト・サムイーロヴィチ | 1921-1924年 |
ゾーフ、ヴャチェスラーフ・イヴァーノヴィチ | 1924-1926年 |
ムクリェーヴィチ、ロムアーリト・アダーモヴィチ | 1926-1931年 |
オルローフ、ヴラジーミル・ミトロファーノヴィチ | 1931-1937年 |
ヴィークトロフ、ミハイール・ヴラジーミロヴィチ | 1937-1938年 |
スミルノーフ、ピョートル・アレクサーンドロヴィチ | 1938年 |
スミルノーフ=スヴェートロフスキィ、ピョートル・イヴァーノヴィチ | 1938年(代理) |
フリノーフスキィ、ミハイール・ペトローヴィチ | 1938-1939年 |
クズネツォーフ、ニコラーイ・ゲラーシモヴィチ | 1939-1947年 |
ユマーシェフ、イヴァーン・スチェパーノヴィチ | 1947-1951年 |
クズネツォーフ、ニコラーイ・ゲラーシモヴィチ(2回目) | 1951-1956年 |
ゴルシコーフ、セルゲーイ・ゲオールギエヴィチ | 1956-1985年 |
チェルナーヴィン、ヴラジーミル・ニコラーエヴィチ | 1985-1992年 |
ソ連海軍参謀総長
ガールリェル、レフ・ミハーイロヴィチ | 1938-1940年 |
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イサコーフ、イヴァーン・ミハーイロヴィチ | 1940-1942年 |
アラフーゾフ、ヴラジーミル・アントーノヴィチ | 1942-1943年(代理) |
スチェパーノフ、ゲオールギィ・アンドレーエヴィチ | 1943-1944(代理) |
アラフーゾフ、ヴラジーミル・アントーノヴィチ(2回目) | 1944-1945年 |
クーチェロフ、スチェパーン・グリゴーリエヴィチ | 1945-1946年 |
イサコーフ、イヴァーン・ミハーイロヴィチ(2回目) | 1946-1947年 |
ゴロフコー、アルセーニィ・グリゴーリエヴィチ | 1947-1952年 |
フォーキン、ヴィターリィ・アレクセーエヴィチ | 1952-1958年 |
ゾズーリャ、フョードル・ヴラジーミロヴィチ | 1958-1964年 |
セルゲーエフ、ニコラーイ・ドミートリエヴィチ | 1964-1977年 |
イェゴーロフ、ゲオールギィ・ミハーイロヴィチ | 1977-1981年 |
チェルナーヴィン、ヴラジーミル・ニコラーエヴィチ | 1981-1985年 |
マカローフ、コンスンタンチーン・ヴァレンチーノヴィチ | 1985-1992年 |
軍艦旗
ソ連海軍の軍艦旗は長方形の、2:3の割合の白地の布板に、下の縁に沿って狭い青の縞をあしらったものになっていた。旗の、青い縞の上の左の部分には赤い星が描かれ、右の面には赤い鎌と槌が描かれていた。旗は1935年5月27日にソ連中央執行委員会および人民委員会議の決議第1982/341号「ソ連海軍の旗について」によって採択された。
ソ連海軍の艦艇
(pixiv百科事典に記事が存在するもののみを記載する)
タシュケント(嚮導駆逐艦)
ヴェールヌイ(駆逐艦)