概要
名古屋鉄道が1937(昭和12)年に製造した直流1,500V区間用電車であり、「いもむし」の愛称で親しまれていた。製造当初は特急用として製造され、第二次大戦の激化とともに通勤形に改装、その後近郊形として改装された。1950(昭和25)年~1988(昭和63)年までは中間車も製造され3両編成や4両編成で運行していた。
1990年あたりからJR東海の輸送力増強に対抗する必要が出てきて淘汰の対象となったが、名古屋鉄道における名車であったことから状態のいい車両を動態保存車として2両編成で運行していたが、他の鉄道事業者の車両で3400系と同じタイプのブレーキ(ブレーキシリンダーが車体に取り付けられており、リンクを介して台車の各制輪子を動かすタイプのもの)を装備した鉄道車両のブレーキリンク破断による事故が起きたことと(但し2両固定であるため、国土交通省通達の規制対象ではない)、部品が製造されておらず補修が困難なことから2002年に廃車。その後は静態保存されていたが、2両編成のうち付随制御車のほうが2006年に解体され、現在は制御電動車1両のみが静態保存されている。
pixiv内では他の鉄道車両のイラスト同様、当該系列の列車を描いたイラストや擬人化イラストが投稿されている。
補足
3400「形」で検索するとpixiv内では京成電鉄3400形電車のイラストが検索結果としてヒットする。ちなみに鉄道省3400形蒸気機関車は現時点(2013/08/07現在)では1件もヒットしない。
先進装備と残念設備
製造当初の3400系には勾配区間の抑速が目的であったが、主幹制御器と逆転器を操作して主電動機の界磁巻線へ流す電流を補助電源から制御することによる回生ブレーキを有しており、定速制御の先祖といえる機能を有していた。また、回生失効に備えて付随制御車にもパンタグラフを搭載していた。
・・・が、肝心の変電所の設備が列車から電力が戻ってくることを考慮していないものであったため、架線へ戻った電力が行き場を失い回生失効が頻発するという残念な結果になってしまった(回生制動の常用を念頭に置いていた阪和電気鉄道はあえて整流設備を当時としても旧式な回転変流機にしていたが、それは回生制動使用時自動で発電所側に逆変換可能なため)。
後に3400系の電制は回生ブレーキから発電ブレーキに積み替えられ、付随制御車のパンタグラフも撤去された。
動態保存車の改装
最終的に2002年まで生き残った編成は3401-2401の車号を持つが元の3403-2403であり、当初は改番した以外そのままであった。
次いで冷房化に着手。車体外観に影響を出さないため、気動車などで使われるセパレート形(放熱器床下式)を搭載。室内機は網棚上に置いたため、設置部分の網棚は実質的に使えなくなった。放熱に必要な開口部は、スカートにパンチ穴を開けた板にすることで確保している。ただし床下機器の一部を置くスペースが無くなったため、エアタンク等を車内の機器箱に収め、車端寄りの座席の一部が撤去されている。
この後台車が元のD-18台車の老朽化により、7300系の使用していたFS-36台車へ交換となったが、揺れ枕吊りを外に出した構造のため、スカートを干渉する分切り欠くなど、結局外観に影響した。