出自
鎌倉仏教と呼ばれる鎌倉時代に誕生した日本大乗仏教諸宗派の開祖の一人である。
現在の千葉県にあたる安房国の海岸地域に住む漁師の家の出。幼少期の名は善日麿(ぜんにちまろ)。当時の漁業民の中では中級にあたる「釣人権頭(つりびとごんのかみ)」の家系である。
しかし彼自身は自身の出自を「旃陀羅(せんだら)」であると語っている。
元はインドの言葉でチャンダーラという被差別階級を漢訳した語である。
非アーリア系の狩猟文化を持ったインド先住民であるが、東征してきたアーリア人に敗れカースト下層に置かれた人々である。
「ヴェーダの宗教」から見れば殺生として破戒にあたる屠畜などに従事していたと見られ、
実家が漁業という魚を死なせる要素を持つ職業であることを恥じて日蓮はこの語を使ったともされる。
貴族出身の道元や親鸞と比べれば平民であり、生活は豊かではなかったようである。
経歴
十二歳の時に天台宗の寺「清澄寺」に預けられ、薬王麿(やくおうまろ)と名を改めた。そこで仏教を学び十六歳で出家して僧侶となる。当時は仏僧として是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と呼ばれた。それから十二年後に比叡山の門を叩くことになるが、それまでの彼の事跡は当時無名の一僧侶だったこともありさほど明らかではない。
ただし鎌倉で浄土教について学んだりと、各地で経験・研鑽を積んでいたことは確かである。
この下積みの十二年間と比叡山入山後で彼は仏教諸宗派について学んだが、後にそれらを完全否定する事になる。
天台宗は念仏や禅、密教、律など仏教の様々な方便(修行法)を集大成した宗派であるが、清澄寺で念仏をしても、他の場所で様々な法門を学んでも救いの実感を得られなかった事が背景にある。
32歳の時、彼は「南無妙法蓮華経(私は法華経に帰依する)」を旨とし、これを題目として唱える法門を立ち上げる。しかし彼自身の意識としては新しい宗派を興したというよりも天台宗の根本聖典でもある『法華経』それを説いた釈迦如来の本心を明らかにしたものであった。
後に日蓮宗と日蓮正宗に分かれることになる「法華宗」の誕生である。この時から彼は「日蓮」と名乗るようになる。幼名と出家名を合わせたような名前である。
「真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、律国賊(りつこくぞく)」という他宗派否定の言葉は有名だが、実は古巣の天台宗も否定している。
彼は中国の天台智ギや日本の最澄は尊敬しているが、「法華経以外の不純物」が持ち込まれて以降の天台宗は邪宗扱いなのである。
日蓮は四月二十八日、朝日差す中、清澄寺にて開教の決意をする。その日は出家にも立ち会った師匠・道善坊が弟子である彼のために始めての法座(僧としての説法の場)を用意した日でもあった。
念仏信徒も集まるその場で、日蓮は「謗法である念仏を捨てて、正法である法華経の信仰に立ち返れ」と説き、最初の波乱を巻き起こすのである。
天台宗の説法の場に念仏信徒が来ている事からもわかるように、当時の諸宗派は自宗こそ最高の教えとしつつも他宗派に一定の配慮はしていたわけだが、日蓮はその全てに対し喧嘩を売った。
歯に衣着せぬ遠慮無い否定と非難によって全方位から敵意を買った日蓮は迫害を受け、命すら狙われる事になる。
本人はというと「法華経に信徒が迫害されると書いてるのが実現した」とさらに気合を入れるのだった。
彼は唱題を説きつつ、題目曼荼羅という「南無妙法蓮華経」の周囲に神仏の名を配した幾何学的な曼荼羅を作成し信者たちに分け与えた。その内のいくつかは現存している。
日蓮にとって宗教は個人やあるグループが信じてればいい、というものではなく、あらゆる人が真の宗教を信じるべき物であり、それは国の統治者も例外ではない。
彼は鎌倉幕府の要人に反仏教と看做す諸宗派を排し真の仏教と信じる法華宗を受け入れるよう上告までする。
それにおいて蒙古(モンゴル帝国)が日本に攻めて来たのも邪宗を野放しにした結果であるとすらした。
彼は命を狙う念仏信徒の猛攻を掻い潜りつつ、源氏の武人たちの前で「(彼らの信仰対象であり、仏教の守護神ともされていた)八幡神はまことの神か」と社に向けて呼ばわる等世間の人々を驚かせる行動にも出る。
死も恐れずに社会をかき回す異分子に対し、体制側も看過できなくなったのか、とうとう死罪が言い渡される。
首を刎ねられるはずだったが、その時強烈な光が現れ下手人や立会人は目が眩み、処刑は中止されたという。
この事柄は刑場の場をとって「竜の口の法難」と呼ばれている。処刑のやり直しはされなかったが、迫害は続いた。彼は他殺ではなく病死によってその生涯を閉じた。享年60。
死後
日蓮は亡くなる前に、弟子の中から六人(六老僧)を選び後継者としていた。その弟子たちの後継者たちは「門流」と呼ばれる諸流派とそこから枝分かれした教団を形作った。
さらに後世、それらの諸門流、教団は「日蓮宗」や「日蓮正宗」といった宗派グループとしての合流の道を選んだり、単立の教団としての道を選ぶことになる。
六老僧の一人「日興」に連なる門派から日蓮正宗となる教団が現れているが、日興門下かつ、日蓮宗に合流している教団もある。両者とも別な日蓮本宗、法華宗興門流として活動する派もある。
日興以外での弟子に連なる門派の多くは後世に日蓮宗となっているが、現在もそちらに合流しない教団(法華宗本門流、本門法華宗、法華宗真門流、法華宗陣門流、顕本法華宗、不受不施日蓮講門宗)も存在する。
日蓮を祖とする諸教団において根本的な仏「本仏」は釈迦如来とするが、日興に連なる「富士門流」の中には「本仏」を日蓮とする教団があり、後に日蓮正宗として合流している。
両者の立場の違いが生じるのは聖典である御書(日蓮の著作)や弟子の著作や口伝として残るテキストのうち、どれを正典とするか、両宗派で違っているためである。
日蓮宗では日蓮正宗が日蓮本仏論の根拠とするテキストを正典としない。そして日蓮本仏論に基づく御書解釈を不当とする訳である。
そのため日蓮宗と日蓮正宗をごちゃまぜにするのは、当人たちにとってはかなり不快がられる事である。
ちなみに創価学会は日蓮正宗系の団体である。
関連タグ
法然(浄土宗) 親鸞(浄土真宗) 一遍(時宗) 栄西(臨済宗) 道元(曹洞宗)
数珠丸恒次:彼が佩刀していた刀。