概要
概要
熊のような、毛深い犬のような姿を持つとされる魔獣。
目はあるがなにも見えず、耳も聞こえないので言語能力もないとされる。
そんな混沌はウロボロスのようにいつも自身の尻尾をくわえ、そのままぐるぐると回り続け、時々高笑いするというよくわからない行動をしていたらしいが、やっぱり邪神なので悪い事大好きな超問題児。
アホみたいに狂暴な檮杌(とうこつ)、不意打ちダマシ撃ちが大得意で「強え奴には用はねえ、弱い奴だけかかってこい」的な饕餮(とうてつ)、牛だったり虎だったりするひねくれ者の窮奇といった同輩に比べればまだ大人しいものだが、やっぱり関わり合わない方が身のためのようだ。
主な出典
春秋左氏伝(文公十八年)
魯の宰相季文子の言葉に「渾敦」として登場。書経の「驩兜」の別称とも。
聖人である黄帝の不肖の子であり、聖人の舜に追放された四凶の一。
義を覆い賊を隠し、凶徳を好んで行い、友とすべきでない反道徳的な「醜類悪物」と親しんだとされる。
要するに「悪そなやつは大体友達?」みたいな事をそのまんま実践している札付きのワルということである。
荘子(応帝王篇第七)
『荘子』内篇の最後の説話に登場。
「南海の帝『儵(しゅう)』と北海の帝『忽』が中央の帝『渾沌』の地で会い、渾沌から厚く饗された。
混沌の顔には「目、鼻、口、耳」の7つの穴がどれもなかったので、儵と忽はお礼としてその穴を一日一つづつ渾沌に開ける事にした。だが七日後に渾沌は死んだ」という。
「儵・忽」は共に「極めて短い時間」を意味する。
何もない混沌の顔に穴を開けたのも、この二人が「人間は目で見て耳で聞き、鼻で息をし、口でものを食べるのです。ですからあなたにもその感覚をぜひ味わっていただきたい!」という善意からした事だが、それで混沌は死んだ。
これは一般的に「人間の浅知恵が自然を殺す事を示して人為を否定した寓話」と解釈され、「渾沌七竅(しちきょう)に死す」という成句にもなっている。
「"自然そのもの"は人間の理屈で理解できるものではない。だから余計なことをすべきでない」という意味で、後に「強引に道理を通してはいけません」という意味のことわざになった。
神異経(西南荒経三則)
崑崙の西にいる犬に似た長毛四足の獣。
熊に似て爪がなく、目はあれど見えず、耳はあれど聞こえず、善人を妨げ、悪人に懐く。
また「『春秋』に云う」として、「何もせず、常に自分の尾を咥えて回っては空を仰いで笑う」とも。
「(良い事を)何もしない」ということなのかもしれないが、何も見えない・聞こえないのにどうやって善悪を判別するのか。
そもそもいつもぐるぐる回っているだけというこの行為でもって一体何をしようというのか……。
どこまでもよくわからないやつである。
その他
山海経(西山経)
天山の西南にいる「帝江」という神が渾沌と同一視される事がある。
黄色い袋に似て、赤土や火のように赤く、六足四翼、混沌として顔がなく、歌舞を知る(=音楽に詳しい)という。
前述の『荘子』に登場する渾沌の元ネタとも言われる。
封神演義
封神演義での三清の師である鴻鈞道人(鴻鈞老祖・鴻元老祖とも)は、混沌の擬人化とされる。ただし、神話上の生物の擬人化ではなく、天地開闢以前の様子の擬人化に当たる。