「当たり前だろ。
俺はいつだって 永遠の野球少年だぜ。」
プロフィール
名前 | 茂野吾郎 旧姓:本田吾郎 |
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性別 | 男性 |
身長 | 180cm (高校三年生時) |
体重 | 75kg (高校三年生時) |
ポジション | 投手→外野手 |
投打 | 右投右打(幼稚園~小学生)→左投右打(中学生~メジャー) → 右投右打(JPB) |
利き腕 | 右利き → 左利き<第2シリーズから> |
握力 | 右70kg / 左90kg |
背番号 | 1(三船リトル、三船東中学、聖秀高校) |
3(博多南リトル)※当時まだ右腕だが療養の為に一塁手となった | |
10(聖秀高校)※負傷の為の控え背番号 | |
56(アナハイム・サーモンズ、クーガーズ、メンフィス・バッツ、インディアナ・ホーネッツ、横浜マリンスターズ)※ただしサーモンズ傘下では公式戦の投板はなし | |
25(W杯日本代表)※追加招集の為、通常は23番まで | |
生年月日 | 1987年 11月5日 |
血液型 | B型 |
CV | くまいもとこ(~小学生)、森久保祥太郎(中学生~)少年サンデーCM劇場は大谷育江 |
人物
生意気で自分勝手なところもあるが、すべては野球へのひたむきな情熱からである。
「エースで4番」タイプの選手で才能に恵まれているが、それ以上に努力を怠らない。闘志を前面に出して常に全力で相手を倒そうと熱くなるが、寿也のような策に長けた者の術中にはまると一気に冷静さを失い、一人相撲の暴走になることも多い。
しかし小・中・高・渡米後いずれの時期にも的確なストッパー(ほとんどは捕手がその役を担う)がおり、吾郎を精神的に支えてきた。それにより頭脳作戦が通用しなくなり始め、運や流れを味方につけることで多くの場合に中盤以降に猛烈な追い上げを見せる。中学時代のチームメイトだった山根は「彼が率いるチームは自然とこういう野球になる」と評していた。
ただし、アマチュア時代はワンマンチームに近い環境(後述するが所属チームがいわゆる「弱小」)になることが多かったため、捕手やチームメイトに対しての自己主張が強く、海堂の指導者から投手失格の烙印を押されかけ、渡米後にバッテリーを組んだジェフ・キーンも、当初は「ピッチャー至上主義の山猿」「お前みたいな投手はお断りだ」と酷評されるほど。寿也もこの点に関しては「諸刃の剣」と評しており、吾郎とバッテリーを組むときは彼のメンタル面を重視してリードするが、キャッチャー軽視の言動に毒づいてる場面も時折見られた。この点は渡米後のプロ生活で一定の改善が見られ、当時問題児扱いされたマードックから(彼自身の気質もあるが)「試合に勝つために、誰にでも本気でぶつかってくる」と肯定的に評価された。
また、怪我を悪化させるのを承知で投げ続けるなど、無茶をしやすい(養父・茂野英毅もこの点については頭が痛いようでメジャーリーグ編ではソフィアの監視を快諾している)など、自ら望んで逆境に身を置こうとすることが多く、試合でもピンチになればなるほど本領を発揮する。
怖いもの知らずな性格どおり投球も大胆不敵で、力ある直球(ジャイロボール)一本で相手をねじ伏せる。吾郎の球は、ただ単に速いだけではなく中学以降の特訓でキレを身につけその場面場面でのモチベーションも球に乗せてくるために打たれても滅多に本塁打にならない。
それどころか、真芯でとらえたはずなのにバットを折るほどの球威、キレをもつ。
ただし弱点もあり、絶妙な体のバランスで投げているために何十球に1球の割合で棒球になる。(高校3年時は故障の影響で1打席に1球程度の割合まで増え、棒球のコースもほぼ一定だったことから寿也率いる海堂打線に狙われた)この点は渡米後に、制球力向上のためにミリ単位でフォームを修正した結果、(直接的な描写こそないが)ほぼ克服したようである。また、(バランスが崩れるために)クイックモーションが苦手であり、速球派サウスポーながら盗塁を許す場面が目立つ。
また、速球をジャイロ回転でリリースすることに吾郎の左手の感覚が慣れている為、マイナー編まではほとんどの変化球の足かせになっていた。しかし、W杯編で野呂(アニメでは勝呂)に師事してフォークボール(ジャイロフォーク)を伝授されたことにより変化球の問題は解消し、投球の幅も広がった。尚、ジャイロボール習得の背景には、左手でバックスピンをかけるのが苦手だったことも関係しており、英毅は変化球の習得が困難であることを見抜いていた。尚、少年期に左腕を骨折しているがそのこととの関連は不明。
打撃についても、父親譲りのセンスを持っている。持ち前の集中力・負けん気・勝負強さもあり、度重なって重要な場面で本塁打を放つなど、高校時代までは作中に描写があるほぼ全試合で打点を上げている(多くは勝利打点、ちなみにアマチュア時代に打点を上げてないのは、途中出場だった陽花高校戦と、海堂高校戦の2試合だけである)。
日本球界復帰時、打者としての実戦経験は10年以上のブランクがあったにも関わらず、プロの1軍でスタメン出場している(オープン戦や消化試合などでもない)。
それを考えれば、本人が語る理想の究極のプレーヤー像である「打って守って走れ、三振も取れるプロ野球選手」の域に(「同時に」ではないとはいえ)達しているともいえる。ただしその反面、バントは自ら「でーきれー(大嫌い)なんでな!」と語るように苦手である。
また、本人もかなりの自信を持っており、ワールド杯では下手だと見せかけて
相手から動揺を誘ったこともある。
三盗を決めたり、内野フライでもタッチアップでホームを陥れるなど足も速い。ただし、作中では吾郎の足の速さに関する記述は無い。
また、野球以外にもサッカー、卓球等も上手く、総合的な運動能力の高さを示している。
頭脳については、勝負事での駆け引きと閃きでは上手く発揮することができるが、学校の勉強はかなり苦手らしく、海堂高校の学科試験前に佐藤寿也に勉強を見て貰ったものの、野球と違い全く集中力が見られなかった。
チームメイトに対する思いやりや責任感は強く、心根は優しいが、口の悪さが災いすることが多い。
現状を変えようとしない者や他力本願な考えに対しては特に厳しく、再起を促す意味で突き放す言葉をかける傾向が強いが、自主的に努力する者や過ちに気づいて反省した者に対しては親身に接している。恋愛に対しては鈍感で奥手ながら、恋人でのちに妻となる清水薫を本当に好きで大事に思っていて、ソフィアが薫へプロ野球選手の家族になることに対する覚悟を問いかけた際にはソフィアに彼女の立場に配慮した叱責をしたほど。
続編にあたる『2nd』では世界各国の独立リーグで現役生活を送っているが、息子の茂野大吾が壁にぶつかっていることを薫から聞いた際には彼の気持ちに寄り添いながら助言や指摘を送るなど、子供の成長を見守る「おとさん」としての描写も目立っている
野球漫画、特に高校3年間を最初から最後まで描ききっている作品の主人公としては珍しく、春夏通じて一度も甲子園に出場していない。
それどころか、高校での公式戦出場は3年夏の県予選の僅か5試合のみで、それもベスト8止まりである。ましてやアマ時代には、名門チームに勝利した経験すら横浜リトル戦のみ。
物語最終盤まで「(マイナーなどを除いた)きちんとした大会での優勝の経験がなかったということで、既述の様に、作中の登場人物の中でも投打両面において飛び抜けた実力を持つ選手である割には球歴が乏しい。
この理由としては、名門・横浜リトルの誘いを断りチーム解散寸前だった三船ドルフィンズに残留、甲子園優勝常連の海堂学園高校を飛び出して野球部のない聖秀学院高校に編入、メジャーで得たFA権を行使しない、など、自ら望んで(または、結果的に)わざわざ「弱小」に身を置くことが多いためといえる。
表記揺れ
関連タグ
本田茂治 本田千秋 茂野英毅 星野桃子(茂野桃子) 茂野真吾 茂野ちはる
大谷翔平:吾郎に最も近いスペックを誇る実在の野球選手。そのずば抜けた才能やひたむきな姿勢から「リアル茂野吾郎」と呼ばれることも多い。また、彼も高卒からいきなりメジャーに挑戦しようとしていた過去がある。(なお、ドラフト指名した北海道日本ハムファイターズの栗山監督らの説得により、NPBでの経験を経てからのメジャー挑戦というプランに落ち着いた。)
カップリングタグ
NL
BL
吾郎が攻め
吾郎が受け