概要
東京から日光へは、1956年10月からキハ55系気動車による準急「日光」が運転されていたが、1958年には東北本線・日光線の電化が完成したため、国際的観光地である日光市に向かう「日光」号を電車化し、スピードアップすることが計画された。
そのうえで国際観光列車としての色彩や競合する東武鉄道への対抗ならびに将来の急行形車両の設備向上の試作的意味から準急列車用に開発されたものではあるが、151系電車に準じたデラックスな特急形車両並みの車内設備を有して設計・製造され、後に特急列車にも投入されることになるのが157系である。
しかし、東武がさらにデラックスな車両・DRCを登場させてしまったため、国鉄は東武との競争を止めてしまった。このため、冷房化をしたうえで軽井沢に向かう「そよかぜ」や伊豆に向かう準急「いず」やその後継の特急「あまぎ」に転用され、1976年まで使用された。
この他、東海道本線特急「ひびき」用に製造された編成もあり、こちらも東海道新幹線開通後は伊豆特急へ転用された。
また、お召し電車のベース車両にもなった。
意図しなかった欠点
当初は冷房準備ということから、客室窓はバランサー付き下降窓とされたが、国鉄に限らず下降窓の扱いには注意が必要で、雨水などが侵入した際車体構造に入り込みそこから腐食を誘発してしまう。
走行距離が長かったことに加え労使関係の異常化による整備の低下も相まって、車体には早期に腐食が進んでしまい、製造15年前後で一般運用から退くこととなってしまった。
それ以前に元々国鉄は下降窓の保守整備は下手なんだけどね。最初からケチらず冷房・固定窓にしておけばまだましであったとも思う。近鉄や阪急が鋼製の通勤電車に長年に亘り大量に使っててなんともないのとはえらい違いである。
これ以降国鉄は、1段下降窓を敬遠しており、民営化直前に登場した205系量産車(ステンレス製の為、腐食の心配がなく、見た目もスッキリ)でようやく復活した。
クロ157
157系のお召し列車用の特別車両。正確には貴賓車に分類される。
那須の御用邸へのご移動の際のお召し列車の簡素化を目的に1960年に1両が製造された。運用開始当初は動力車となる157系の電動車ユニット2両と組み合わせて3両で運転していたが、1962年に電動車ユニットが故障して自走不能になるトラブルに見舞われたため、電動車ユニット2両を追加して5両で運行されるようになった。
牽引用の157系一般車は他の157系が廃車となる中1980年2月まで残り、以後クロ157の牽引は183系を経て、185系となった。なお183系や185系には157系にあった制御電動車がないため最小構成でも7両での運転となった。当初の投入目的だった簡素化とはどこへやら。
なお1号編成の場合は客車本体が5両だが、機関車を含めると6両になる。
国鉄時代に一般旅客用の車両は全廃されたが、クロ157-1だけが廃車を逃れ、民営化後も在籍し、お召し列車としての運転実績もある。しかし、平成時代以後は明仁上皇(当時は天皇)の方針もあり次第に専用車の使用機会も減少、また那須塩原駅の開業に伴い在来線を使用した御用邸への移動すら大幅に減ったため、1号編成と共に出番は大きく減った。
それでも、当時の良子皇太后(香淳皇后)がご健在の折は、足を悪くされていた晩年の皇太后の御乗用車両としてクロ157が頻繁に起用されている。1号編成が天皇用とされたからなのか、バリアフリーに最適なためだったのか、ともあれ平成以降は専ら皇太后御乗用として使用されていた。だが、2000年の良子皇太后崩御に伴い、その数少ない使用も終了し、以後は長く車両センターでの待機を余儀なくされている。
2012年12月に長年留置されていた田町車両センターから大崎の東京総合車両センターへクモヤ145に牽引されて移動。夜間とはいえ久々の本線走行に大勢のファンが集まった。2013年3月に長年籍を置いていた田町から東京総合車両センターへ転属した。
関連タグ
E655系:後継お召し電車。