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ヒシアケボノの編集履歴

2021-12-07 21:52:30 バージョン

ヒシアケボノ

ひしあけぼの

JRAに所属した元競走馬、種牡馬(1992生-2008没)。1995年のスプリンターズステークス優勝。

※本馬をモチーフとする『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラクターについてはヒシアケボノ(ウマ娘)の記事を参照。


概要

1992年アメリカで生まれた外国産馬。父はウッドマン

ヒシアマゾンヒシミラクルとは馬主が同じ阿部雅一郎である。

半弟に海外G1を2勝したアグネスワールドがいる。


体重が500kgを優に超える超大型馬として有名で、馬名の由来は当時現役だった第64代横綱曙太郎からである。


1994年の11月に田中勝春を背にデビュー。

しかし、年が明けても勝てず武豊を背に挑んだ5戦目の未勝利戦も5着。武が乗ったのはこの1戦だけだった。

河内洋を迎えた未勝利戦で、6戦目にして初勝利し次の500万下条件戦も連勝。

騎手が角田晃一に代わっても連勝を4に伸ばす。

この後の2戦は河内が騎乗するも、再び角田に戻ったスワンステークス(GⅡ)で重賞初勝利し以後、角田が主戦騎手となる。

マイルチャンピオンシップトロットサンダーに敗れて3着になるも、続くスプリンターズステークスビコーペガサスとドバイから参戦したソーファクチュアル(オリビエ・ペリエ騎乗)の追撃を振り切りGⅠ勝利を飾る。


この時の馬体重560kgはGⅠ勝利再重量記録として長らく不動であったが、2016年にアポロケンタッキーがダートGⅠの東京大賞典を馬体重565kgで勝利したことにより破られた。

しかし芝GⅠ優勝馬の歴代最重量記録としては2021年現在も残っている。

(※逆にGⅠ勝利最軽量記録は1971年度のオークス馬であるカネヒムロの384kg。)


しかし、翌1996年以降はまったく勝利できず、1997年末のスプリンターズステークスで9着になったのを最後に引退(この時の騎手は、ヒシアマゾンの主戦だった中舘英二)。

引退後は種牡馬になるも、目立った成績は残せなかった。

2008年に16歳で死去した。


重量馬と短距離レースとの関係性について、こんな動画が作られている。


関連タグ

競馬 競走馬 95世代


外部リンク

巨漢馬の馬名一覧

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