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ダウンタウンの編集履歴

2022-02-13 12:04:46 バージョン

ダウンタウン

だうんたうん

繁華街を意味する英単語のこと。また、それに由来するコンビ名。

曖昧さ回避


浜田雅功と松本人志による漫才コンビ

吉本興業所属。NSC大阪の1期生。

とんねるずウッチャンナンチャンと並ぶ「お笑い第三世代」と呼ばれた次世代お笑い芸人の代表格である。

漫才に限らずコントも数多く制作しており、その芸風の多彩さにも定評がある。

2010年のM-1グランプリで松本人志が登場する際、「漫才の歴史は彼(ダウンタウン)以前、彼以後に分かれる。全芸人がリスペクトする、笑いの生きる伝説」と紹介された。


来歴

1963年、共に兵庫県尼崎市に誕生。

1982年、コンビ結成。

1987年、大阪毎日放送で放送開始された「4時ですよーだ」の司会を務め、関西で大ブレイク。

1989年、本格的に東京進出。「夢で逢えたら」「ダウンタウンのごっつええ感じ」でその人気と地位を不動のものとし、現在に至る。


芸風

それまでの漫才では見られなかった独特のゆるさ・気の抜けた空気感・スローテンポがダウンタウンの漫才の特徴である。これらの要素は1980年代までに培われた漫才の基本形から考えると真逆と言えた。実際この笑いが受け入れられるまでダウンタウンは苦難の時代を積むことになった。元々は正統派な漫才師を目指していたが、通用せず試行錯誤を繰り返して今のスタイルに辿りついたという。このダウンタウンのスタイルが成功してからはこのスタイルを真似る者が出てきたらしく、ダウンタウンを知る先輩芸人は「ダウンタウンは正統派を散々やってきてこのスタイルに行き着いた。最近はそんな手順もふまず安直に真似る若手が多くなった」と苦言した事もある。

松本人志のシュールで無茶ぶりともいえる破壊的なボケと、浜田雅功の切れ味鋭い迫力のあるツッコミによって生み出される独特な世界観もダウンタウンの特徴である。ガキ使にて行われたフリートークでもこの色は如何なく発揮されている。

コントにおいては松本人志の色が強く表れており、可笑しみと悲しみが両立した作品が多い。


テレ朝出入り禁止?

ダウンタウンは東京・大阪のテレビ局(日本テレビTBSフジテレビMBSABCテレビ読売テレビ)が制作するレギュラー番組を持っているが、東京では1996年を最後にテレビ朝日制作のレギュラー番組を持っていない。

ただし、浜田雅功はテレ朝系列で放送されるABCテレビ制作全国ネット番組をレギュラー、特番とも持っており、松本人志もABCテレビが制作・主管を行う『M-1グランプリ』で審査員として出演している。

2019年3月24日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ)で松本は、ゲストとして迎えた中居正広が同年4月から『中居正広のニュースな会』(テレ朝)のMCを務めることに触れ、「俺は皆さんがご存じの通りテレ朝出禁なので」「テレ朝の偉い人と吉本の偉い人が揉めたって…」「(吉本の)上層部が啖呵を切ったんですよ『ダウンタウン出せへんぞ』って。そしたら向こう(テレ朝)が『いらへんわ〜』って」と暴露した。3月26日にテレ朝が行った会見で、テレ朝の編成担当はダウンタウンのテレ朝出禁について「そのような認識はありません」と否定、またテレ朝と吉本が揉めたことについても「そのような事実は把握しておりません」としている。


テレ朝最後のレギュラー番組は1995年に関東ローカルで放送された『かざあなダウンタウン』。この番組はダウンタウンの無茶振りに若手芸人が体を張って様々な企画にチャレンジするものだった。

出演番組

日テレ

TBS

フジテレ

関連イラスト

じじいになってもダウンタウン「日本だってまだ捨てたもんじゃないぜ」


関連タグ

漫才師 芸人 吉本興業 浜田雅功 松本人志

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