阪急今津線
はんきゅういまづせん
概要
阪急電鉄の支線で、阪急宝塚線の終点である宝塚駅から、阪急神戸線の途中駅である西宮北口駅を経由して、阪神電車接続の今津駅を結ぶ路線である。大正10年に宝塚と西宮北口間が開業(当時の路線名は西宝線)、5年後に今津まで全通。なお、西宮北口駅にはダイヤモンドクロスと呼ばれる神戸線との平面交差があり、今津方面にはこの平面交差を越えて運行していたが、神戸線のスピードアップの妨げとなり、かつ当時は高架化などの技術がなかったため、1984年をもってダイヤモンドクロスは撤去、今津線は西宮北口で運行が南北分断となり、北側は6両編成、南側は3両編成で運転されている。
このうち北側を今津北線、南側を今津南線と呼ぶ事がある。また南線は運転区間が3駅のみで、6000系によるワンマン運転を行う。
普段はどちらも普通列車が行き来するのみだが、朝夕ラッシュ時や競馬開催時、行楽シーズンには北線(仁川、宝塚)から梅田、京都嵐山方面に乗り入れる列車も存在するが西宮北口駅の構造上、同駅に停車することが出来ず、本線の特急が停車する駅に準急や急行が停車しない特異な駅となっている。
梅田と宝塚を結ぶ宝塚線に比べると、西宮北口経由で回った方が若干距離が短く、西宮北口での乗り換え時間を入れてもこちらの方が所要時間は短い(運賃はどちらを経由しても同額)。また、西宮北口から宝塚南口あたりまでほぼ一直線にレールが敷かれている。
今津線と阪神
今津駅では阪神電車と連絡しているが、若干離れている。かつては隣同士にホームが並んでおり、戦前から戦後すぐまで線路が繋がっていて、乗り入れ計画もあったが、結局実現しなかった。戦後すぐ、阪急の車両が今津駅を越えて、隣駅の阪神久寿川駅まで暴走した事故(通称「殴り込み事件」)が原因で、以降は線路は寸断されてしまった。後に神戸高速鉄道を介して再度阪急と阪神の線路が繋がったが、乗り入れは2014年に5100系を能勢電鉄へ譲渡するために阪神尼崎で改造するまで実現していなかった。
今津駅と西宮北口の間にある駅は阪神国道駅であるが、無論阪神の駅ではなく阪急の単独駅である。これは至近を走る国道2号線が阪神(大阪と神戸間の事)間を結んでる事からそう呼ばれてるからである。
ただし、かつて2号線を走っていた阪神電車の路面線である国道線もこの至近に駅(北今津駅)があり、阪神電車とゆかりがないわけでもなく、現在でも阪神バスの「阪神国道駅前」という停留所がある(阪急阪神経営統合後に北今津から改称)。
現在ではJR西宮駅と500メートルの距離にあり、阪急・阪神の今津駅とも700メートルと近距離である。これらの理由からか、阪神電車の駅と間違われやすい(ちなみに大阪市営地下鉄千日前線の野田阪神駅は阪神電車の野田駅前にある事が由来である)
なお阪神甲子園駅から阪急宝塚線、京都線に出る場合、降りる駅にもよるが、梅田を経由するより西宮北口を経由した方が若干安く(京都線河原町駅なら同額、淡路駅なら50円安い)、甲子園駅で並ぶよりは今津駅まで歩いた方が早く安くつく場合がある。その為、甲子園での高校野球や阪神戦が終わった後は今津線は3両編成とあって意外な混雑ぶりをみせる。
物語の中の今津線
「決戦・日本シリーズ」
かんべむさしによる小説作品。
阪急が所有していた阪急ブレーブスと阪神が所有している阪神タイガースがそれぞれのリーグで首位争いを独走していた頃、とある新聞社が、「負けたチームの所有路線を、勝ったチームの電車が走る」という提案をし、それぞれの沿線民が二分して大騒動となる。
ブレーブスは本拠地を西宮球場(現阪急西宮ガーデンズ)、タイガースは本拠地を阪神甲子園球場としていて、どちらも兵庫県西宮市にあり、2球場の付近を今津線が走っていたことにちなみ、『今津線シリーズ』とも呼ばれる。
2球団の死闘を描いているかと思いきや、それに加え、阪急、阪神沿線の価値観などの違いを描いている。
阪急ブレーブスは現在オリックスとなっており、本拠地は京セラドーム大阪に変わっている。甲子園と京セラドームは阪神なんば線を介して一本で繋がっているため、もしセ・リーグ優勝が阪神、パ・リーグ優勝がオリックスになると、日本シリーズは「なんば線シリーズ」と呼ばれる……のだろうか。
駅一覧
◎:停車 レ:通過