※仮面ライダーセイバー第35章のネタバレ注意
概要
35話ショックとは、令和ライダー2作目である仮面ライダーセイバー、そのテレビ本編第35話(正式には第35章)「そして私は、神になる」が視聴者に与えた強烈な印象や衝撃を指す。
本来であればこの35話は、最終書に入る直前の重要なエピソードとして、 マスターロゴスの策略、『約束の少女』ルナとの再会と別離、そして全知全能の書の復活など、これまでに起きた様々な出来事の伏線を回収し、クライマックスへ向け物語を一気に加速させるーーーー
筈だった。
詳細
当該放送回より以前、『仮面ライダーセイバー』は一概に評価が芳しいとは言えなかった。
その要因は多々あるが、特に大きいものとして一話に話の内容を詰め込みすぎているという点が挙げられる。
また、描写や展開に対しての伏線や下積・重要な設定がスピンオフで取り上げられ、本編では解りやすく親切な形では示されていなかったこともあり、少なくない視聴者の困惑を招いた。
しかしながら、第二部を通して2号ライダーの成長やサブライダーたちのキャラクターにフォーカスが当てられたことなどから、第三部以降は比較的評価が持ち直し好意的な視聴者が増加していた。
特に2号ライダーの成長に焦点を当てた第32話は、最強フォームを手に師匠の仇を討つという熱い展開や、CGをふんだんに用いたド迫力な戦闘シーンも相まり、本作の評価を大きく跳ね上げた。
その後も、ところどころ困惑の種を指摘されどながらも地道に評価を取り戻した仮面ライダーセイバーであったが、再び多くの批判を呼んだのがこの35話であった。
直前の34話(第34章)の段階で細かい演出やキャラクターの動きに対して批判的な意見が挙がったが、この35話では、
- 一話に話の内容を詰め込みすぎる。
- 細かい設定や重大な設定が盛り込まれているにもかかわらず、それを映像やストーリー上の演出では過剰に省略されている。
など、前述した視聴者の困惑を誘発する物語展開をこれでもかと凝縮したような構成だったため、沈静化していた過激な批判が再燃することとなってしまった。
問題とされる点
ストーリーに関しては一話に詰め込まれた情報量が多すぎて話について行けないという点が多く指摘される。
具体的には
- カリバーと剣斬の因縁の対決。
- ソフィアがルナの身代わりになろうとするも失敗する。
- ファルシオンとセイバーが戦い、エモーショナルドラゴンを使用する。
- マスターロゴスの策略により聖剣がすべて集められ全知全能の書が完成する。
- ようやく救出されるも再び飛羽真たちの前から消えるルナ。
これらの展開が一話の中に詰め込まれていたため、話の流れを消化しきれない視聴者が続出した。
また、この他にもストーリー上における演出面に関しても、如何にも意味ありげに出現するも結局何もせずに帰ったストリウス、前話で飛羽真を劇的に庇い消滅したばかりであっさりと復活しながらも特に誰にも言及されないユーリ、あまりにもあっけなく倒され再び封印されるバハトと、多すぎるキャラクターたちを持て余しているように見える場面が多い。
更にこの話の中では以下の出来事も発生していた。
- 仮面ライダーカリバーが聖剣を封印したが、その聖剣の封印は仮面ライダーファルシオンに敗北したことで解けていた。
- 聖剣によって全知全能の書への道が繋がり、世界をつなぐ存在(ルナ)によって現実に帰ってくることができる。
- ソフィアは剣士たちを守りたいという思いの為に、ルナの身代わりになることを決意していた(36章にて言及及びソフィア本人による説明がされた)。
しかしこれらの描写は35章時点では明確な説明が一切なく、公式サイトで初めて開示された設定である。
この他にも、劇場版で仮面ライダーファルシオンを復活させた存在がマスターロゴスである、単に全知全能の書を復活させるだけならばいくつかの聖剣のみでも十分可能だが確実に復活させるためには聖剣を全てそろえる必要がある、かつて全知全能の書の目次録に到達した上條大地はマスターロゴスを超える力を手にしていたかもしれないと言った、ストーリーの根幹に関わる謎や秘密と言った設定の多くが本編で語られずに公式サイトで明かされた結果、「本編でやれ」と言う反発が生じた。
こうして、余りにも多くの設定の詳細を説明しない為、キャラクターの心理やストーリーの内容を深く認識できず、全体的にその時不思議な事が起こったというレベルでしか視聴者には話が理解できず、せっかくのクライマックスシーンにも関わらず、物語に没入する前に首を傾げてしまい満足に楽しめない視聴者が続出したのだった。
映像的な演出の悪さにも、それに輪をかけて反発があった。
- 気を失っている幼女の頭を悪そうな顔でねっとりと撫でるマスターロゴス。
- のどかな公園の中に据え置かれた机と豪華な椅子とベッド。
- 唐突に現れる光の坂を若干浮いた合成映像で全力で駆け上る飛羽真。
マスターロゴスに関して言えば、演じる相馬圭祐氏の怪演が強烈だったため絵面がひいき目で見ても事案であることが否めなくなった。
公園のシーンに関しては、コロナ禍という事もあり擁護する意見の方が目立つものの、撮影に使われている椅子が某戦隊の使いまわしであることからその点をネタとして扱う視聴者も多かった。
特に、光の坂に関しては、合成やCGの不自然さ、展開のシュールさもさることながら、その構図が伝説的な打ち切り漫画のそれであり、放送終了後すぐにネタとして広まった。
擁護意見
仮面ライダーセイバーという作品の内容の過積載について敢えて擁護をするなら、本来の番組の意図がヒーロー活劇であり、純粋にヒーローの活躍を期待しているメイン視聴者層にとってはアクションシーンが需要の主流ということがある。
元々本作は、敵・味方を問わずにキャラクターの数が多く、そのキャラクター描写はどうしても偏らざるを得ない点は、制作発表の段階で指摘されていた。
また、ある程度ストーリーに興味を持つ年代ともなると、それこそ小学一年生ですら自力で公式サイトなどの解説を調べることは容易であり、単に設定を説明するだけならばそちらで済ますことは不可能ではない。
製作スタッフ側の思惑の一つとして、本編映像で最小限に留めた詳細な裏設定をそちらに回すことでアクションシーンの尺を確保したかったものと思われる。
本当の問題はアクションと設定解説のバランス調整の極端さであり、今後はより一層検索や考察無しでも設定の要点が分かりやすい配分を意識すれば改善できるものではないだろうか。
また、Blu-ray BOX収録のスピンオフ映像ソードオブロゴスサーガの視聴を行わなければ内容を理解できないとの声があるが、必要な事実それ自体は公式サイトの解説でほぼ全て開示されているので、何が起こっているのか(起こったのか)を端的に知るだけで満足できるのであれば公式サイトを参照にすれば十分ではある。
そして留意しておくべきは、『仮面ライダーセイバー』という作品は一括視聴での評価の方が高く、意味不明に思われる描写にも後から一定の理解を得ることが出来る構成になっていることである。当該エピソードの解説と合わせて焦らずに作中の現象を整理していくのも、本作の有効な楽しみ方の一つである。
関連タグ
もしかして:
頭の中にダイナマイト・・・チャージマン研!第35話。冒頭約1分(尺の二割相当)を本筋と関係ない怪獣映画に費やしてからの怒涛の超展開、そして常軌を逸したオチで知られる。