概要
『宝石』に1951年11月から1953年11月まで連載。
1954年に「第7回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされている。
戦後の混乱期にあった事件となっており、旧華族の没落やインモラルな描写が見られる。当時はびこった闇やそこから生じた悲劇や愛憎劇を書いており、他の作品とは異なった独特の雰囲気を持ち、人気作品の一つとなっている。
横溝正史も「自選ベスト10」の6位に本作を挙げている。
あらすじ
1947年(昭和22年)9月28日、金田一耕助の元にある一人の依頼人が訪れた。
依頼人は椿美禰子(みねこ)。この春に起きた「天銀堂事件」において容疑を受け、釈放後に失踪し自殺した元子爵・椿英輔の娘だった。
美禰子が語るには、母の秌子(あきこ)が死んだはずの父を目撃して怯えているという。だが美禰子は父の遺体を確認しており、世間には公開されていないが遺書もあった。
金田一は遺書を読んだが、そこには不可解な言葉が記されていた。
父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。
由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。
ああ、悪魔が来りて笛を吹く。
父はとてもその日まで生きていることは出来ない。
遺書にはそう書かれており、英輔が死を選んだのはやはり「天銀堂事件」ではないかと美禰子は答えた。
事実、生存者の証言で製作されたモンタージュ写真は英輔によく似ていた。それだけでなく、屋敷内に居る人物が警察に英輔の事を密告しており、それにより英輔は「天銀堂事件」の最有力容疑者となっていた。
取り調べの後、帰宅した英輔は『屋敷には悪魔がおり、そいつが密告した』と言ったという。
密告者に心当たりはないのか尋ねる金田一に対し、美禰子は大伯父の玉虫公丸、伯父の新宮利彦が常日頃から英輔を蔑ろにし、秌子も影響力の強い玉虫につられて英輔を無視していたと語る。
そして英輔の死後、英輔の復讐があるのではと秌子は怯えており、遂には英輔の幻想を見始め、つい最近『英輔に遭った』と言う。しかも秌子だけでなく、玉虫の小間使いである菊江と、椿家女中のお種も英輔に似た人物を見たという。
美禰子は英輔の生死を確かめるという名目で開催される「砂占い」に参加し、屋敷内の人物たちを観察する事を依頼。
そして金田一は椿邸の人物たちと対面する。
計画停電中に「砂占い」は行われたが、停電が終了すると同時に、家の中に英輔が作曲した異様な曲「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート演奏が響く。結局レコードプレーヤーによる仕掛けだったが、誰がそれを仕組んだかはわからない。
更に停電中に砂占いに出た火焔太鼓のような模様に、それを見た数名はざわつき、深刻な表情を見せた。美禰子はその絵が死んだ子爵の手帳に「悪魔の紋章」の名で描かれていたことを金田一に告げる。
その夜、玉虫が殺されているのが発見される。それを皮切りに、次々と起こる殺人。
果たして犯人は?その目的は?
登場人物
主要人物
ご存じ我らが名探偵。
東京警視庁の警部。「天銀堂事件」の捜査にも関与していた。金田一との手紙のやりとりでのみ登場。
- 椿美禰子
依頼人。19歳。母に似ず、いかつい顔の不美人。タイピングを習得している。
椿家
- 椿英輔
椿家当主で元子爵。フルート奏者で、不気味な旋律が特徴の「悪魔が来りて笛を吹く」を作曲した。自殺したとされるが……
- 椿秌子
英輔の妻。40歳。市松人形のような美しい女性。何処か白痴めいており、自分の意思がほとんどなく、周囲に流されやすい。
- 三島東太郎
椿家の書生。椿家に入る以前は闇市でブローカーをしていた。戦争で中指の半分ほど、薬指の3分の2ほどを失っている。
- お種
椿家の女中。器量が良い。英輔を慕っている反動で秌子たちを嫌っている。
- 信乃
秌子の乳母。彼女が椿家に嫁いだ時に一緒について来た。芸術的な醜さを誇る老婆。
- 目賀重亮
新宮家
- 新宮利彦
秌子の兄で元子爵。妹が自分より多額の遺産を相続した事に強い不満がある。貴族時代の栄華を捨てきれない浪費家。
- 新宮華子
利彦の妻。落ち着いた感じだが、何処か憂いがある。
- 新宮一彦
利彦の息子、美禰子の従兄。英輔の弟子でフルート奏者。父に似ず上品かつ誠実。事件の悲劇と、犯人が復讐鬼となった顛末に心を痛める。
玉虫家
- 玉虫公丸
秌子・利彦の伯父。元伯爵・元貴族院議員。偏屈な老人。第一の被害者となる。
- 菊江
公丸の小間使い兼妾。おきゃんだが古風な価値観を持つ。玉虫が殺害された後は椿邸に滞在する理由もなくなるが、彼女の持つ明るく可愛らしい気質が、陰惨な事件の続いた椿邸にわずかながら救いをもたらす事となる。
河村家
- 河村辰五郎
玉虫の別邸につとめていた植木職人。ある秘密を知っており、それをネタに玉虫を脅していた。
- 堀井駒子
辰五郎の娘。昔は玉虫家の別荘で臨時の小間使いをしていた。父が定かではない娘・小夜子を出産後、辰五郎の弟子の堀井に嫁がされたが、家庭内暴力に苦しめられる。小夜子の自殺後に出家した。
- 河村治雄
辰五郎の息子。姉とその娘である小夜子を気にかけ、たびたび面倒を見ていた。出兵後の足取りおよび生死は不明。
- 堀井小夜子
駒子の娘。愁いを帯びた美少女。理由は不明だが、戦中に毒をあおいで自殺した。
三島家
- 三島省吾
東太郎の父親。英輔とは旧友。戦中に脳溢血で死亡。
- 三島勝子
省吾の妻で東太郎の母親。戦中に空襲で死亡。
その他
- 飯尾豊三郎
「天銀堂事件」の容疑者の1人。後に英輔が浮上し、容疑者リストから外れた。
- 慈道
法乗寺の住職。出家した駒子を世話した。
映像化
登場しない人物や改変がある作品や、原作通りに展開している作品もある。
映画
1954年版と1979年版があり、1954年版の主演は片岡千恵蔵、1979年版の主演は西田敏行。
ラジオドラマ
NHKラジオ第1放送で毎晩15分ずつ放送。全12回。
原作に忠実な展開。玉虫の密室殺人の謎解きも、金田一の説明以外に、ある人物の回想をドラマ化して丁寧に説明している。
テレビドラマ
TBSで放送された1977年版と1992年版、フジテレビで放送された1996年版と2007年版、NHK BSプレミアムで放送された2018年版がある。
TBSは両作品ともに主演は古谷一行。
フジテレビは1996年版の主演は片岡鶴太郎、2007年版の主演は稲垣吾郎。
BSプレミアムの主演は吉岡秀隆。
舞台
劇団ヘロヘロQカムパニー主催。主演は関智一。
ほぼ原作通りに舞台化だが、あるトリックやヒントの件は存在しない。
余談
「天銀堂事件」は実際に起きた「帝銀事件」をモデルにしている。
銀行の従業員に防疫を装って毒を飲ませ、苦しんでいるのを後目に金品を強奪、最終的に12人が死亡した事件。
日本で初めて「モンタージュ写真」を捜査に取り入れた点も作品に反映されている。
横溝正史が本格的に本作を描くきっかけとなったのは、疎開先から戻った成城の自宅で、夜ごと隣家から聞こえてくるフルートの音だった。当時隣家には東宝映画初代社長・植村泰二とその家族が居住しており、演奏していたのは子息の泰一だった。
横溝は彼が練習していたドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』のレコードを自分の息子に買ってこさせて聞き込み、また泰一や息子の友人に協力してもらい、フルートに関する知識を得たという。
しかし連載開始後に「右手と左手を逆に考えていた」というミスが発覚。あるギミックが完全再現不可能である事に気づいてしまい、横溝はガックリしつつも「途中から左でしたって書くわけにもいかない」と苦笑したという。結果、「悪魔が来りて笛を吹く」の譜面を作って作中に入れる事を考えていたが、断念する事となった。
こうした繋がりもあり、1979年の映画版では、テーマ曲「黄金のフルート」を泰一本人が演奏している。
なお『ハンガリー田園幻想曲』については、後に『迷路荘の惨劇』にも登場。ある役割を果たす。
関連タグ
青酸カリ:事件に使用された毒物