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セントサイモンの編集履歴

2022-06-26 21:02:26 バージョン

セントサイモン

せんとさいもん

セントサイモンとは、イギリス競馬界、種牡馬時代には全世界に多大な影響を与えた何かである。

概要

1881年イギリスで生まれたサラブレッドの姿をした怪物。













...いや、競走馬である。










プロフィール

生年月日1881年
英字表記St. Simon
性別
毛色鹿毛
ガロピン
セントアンジェラ
競走成績10戦10勝(非公式1戦含む)
獲得賞金4676ポンド
異名煮えたぎる蒸気機関車(Blooming steam-engine)
管理調教師ジョン・ドーソン→マシュー・ドーソン
厩務員チャールズ・フォーダム
馬主バッチャーニ・グスターヴ→第6代ポートランド公爵
生産バッチャーニ・グスターヴ

生産者はオーナーブリーダーであるハンガリー貴族、バッチャーニ・グスターヴ。生後すぐにバッチャーニが死去しているため、馬主は第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクに変わっている。

馬名の由来は、当時バッチャーニが傾倒していたフランス社会主義思想家、アンリ・ド・サン=シモン。


競走馬・種牡馬としての概要

10戦無敗という完璧な戦績と、現代のサラブレッド達全てに影響を持つ種牡馬成績を持つ、イギリス史、いや世界最高峰の競走馬である。同じく世界的な大種牡馬のサンデーサイレンスノーザンダンサーですら霞んで見えてしまうかもしれない影響を与え、サラブレッドの三大始祖と同格以上の存在と位置付けられることも。

デビュー前は見栄えのしない馬体や血統の悪さのため期待されておらず、さらに元の馬主が死亡したため当時のルールによりクラシックを戦う事はできなかったが、その代わりに下級戦やマッチレース、古馬の上級戦に出走を続けて勝利を重ねた。(レース級のペースメーカーが用意されていないトライアルレースでの出走を含めれば10戦以上こなしている。無論全勝無敗。)

殆どのレースで圧倒的な差を付けて勝利しており、1884年のアスコットゴールドカップグッドウッドカップでは、その年や前年のクラシック勝利馬・GI級勝利馬などの超強豪達を相手に20馬身以上の差をつけて勝利するという怪物ぶりを見せた。


1886年からは種牡馬として空前の成功を収め、牡馬と牝馬で1頭ずつの三冠馬を産出し、1900年にはクラシックを全勝したほど。一時期「セントサイモン系に非らずはサラブレッドに非らず」とまで言われるほどの流行を見せたという。

その血統はイギリスに留まらず世界中に拡散し、サラブレッドの血統に多大な影響を残した。27歳の時に心臓麻痺で死亡するが、その後も産駒たちの種牡馬としての活躍もあり、半世紀を待たずにセントサイモンの血を持たないサラブレッドはほぼ姿を消した。日本ダービーの優勝馬も初代ワカタカ(1932年)から現在に到るまで、全てセントサイモンの血を引いている。

そして現在、セントサイモンの血を持たないサラブレッドは存在しないと言われており、全世界のサラブレッドにおよそ10%含まれているセントサイモンの血は今後も薄まる事は無いだろう、と言われている。


その種牡馬成績のすさまじさは「セントサイモンの悲劇」と呼ばれる現象も引き起こした。

余りにも血が広がりすぎたために近親交配の危険性が高まり、結果不受胎や貧弱な仔馬が生まれてしまったり、近親交配を避けるために種牡馬として敬遠されるなどが起こってしまう。

競馬発祥国イギリスの気位の高さ故に生まれた悪法『ジャージー規則』もまた、これに拍車をかけた。

この規則は「先祖全てがジェネラルスタッドブック(サラブレッドを定義付ける血統書)に記載されていない馬はサラブレッドとして認めない」というもので、要するに海外から新しい血を入れることができなかったのだ。これによってイギリス国内でのセントサイモン系は、大繁栄の後に大衰退を起こすことになった。

逆にジャージー規則のないフランスなどではこうした悲劇が起こらず(起こった国もある)、イギリスで弱体化したセントサイモン系の馬が、フランス生まれのセントサイモン系に惨敗するという、イギリス人からすれば屈辱的な出来事も起きた。ちなみにジャージー規則が撤廃されたのは第二次世界大戦終結後、1949年のことである。

これらの出来事はサンデーサイレンスの血が大繁栄している日本でも決して軽視できない教訓であり、生産者たちは海外から新たな血を取り入れる努力をしている。









とまぁ、競走馬としての凄さは早々に切り上げる。




この馬の凄さは、特にもう一つの要素で語られることが多い。













怪物としての概要

セントサイモンという馬は馬ではない。




怪物である。




それは競争成績や種牡馬成績を指すだけの言葉ではない。

セントサイモンそのものが正に怪物なのである。



怪物の所以

セントサイモンは非常に気性難な馬であったと伝えられている。


「気性難な馬など沢山いる」?


その通り、気性難な馬は現代でも数多くいる。

しかし、彼の気性の荒さはもはや気性難という言葉で言い表せるようなレベルではない。

SS金色の暴君120億円事件わがままお嬢様真面目過ぎた天才少女といった気性難持ちの馬達が可愛く見えるレベルである。

というか、それらの馬の気性難が(こう言っては苦労した関係者の方々には申し訳ないが)ある種のギャグとしてファンから受け入れられているのに対し、セントサイモンのやったことはどう贔屓目に見ても笑えない


殺意の気性

セントサイモンの厩務員は彼の世話を常に命懸けで行っていた。言葉の比喩ではなく本当に命懸けで。

そもそも普通の馬の世話自体、決して楽なものではない。あの体重と脚力が人間に少し向いただけでもどうなるかは素人でも想像がつくとは思うが、セントサイモンの恐ろしさはその殺意にある。

なにせ彼は常時怒りモードと呼ばれる程に気性が荒く、厩務員がほんの少しでも隙を見せようものならすかさず本気で殺しにかかってくるのである。

とにかく他者に何かを強制されることを極端に嫌い、何か指示を受けたら即怒髪冠を衝く勢いで暴れまわる。関係者の話では常に掛かりを起こし発汗し続けていたというほどである。

ドーソン調教師はセントサイモンの気性について「まるで電気か何かのようだ」と評し、担当厩務員たちには

  1. 機嫌を損ねない冷静さ
  2. 一切の隙を見せない緊張感
  3. 日々繰り出される蹴り、踏み付け、噛み付き等の攻撃に耐えられる精神力

即ち、セントサイモンからの人間虐待に対する忍耐力が常に求められていたのである。(もう何かがおかしい。)


強烈なエピソードとしては、気性改善のために馬房へ入れたの話がある。

数ある動物の中でも、馬と猫は相性が良いと言われノーザンテーストナイスネイチャなど、猫と戯れる馬の様子は多く撮影されている。

過去にはハンガリーの54戦54勝の名馬・キンチェムなどが、猫を馬房に入れることで気性が改善した、という事例がある。そのことを知ったスタッフ達が、彼の馬房に猫を入れてみたことがあった。



が、



なんと彼は入ってきた猫を見るやいきなり口で猫を咥え、そのまま天井に思いっ切り叩きつけて打ち殺してしまったのである。


あまりにも猫が不憫すぎる。ステイゴールドでさえ猫にはデレていたのに。


このまま種牡馬入りすれば種付相手の牝馬を殺しかねないため、その後も様々な気性改善が試みられたが、結局全て無駄に終わり、生涯このままだったという。もしも競走馬としての能力が今一つだったら間違いなく去勢されていただろう。


他にも厩舎周辺の町にいた不良青年たちが、たまたま一頭だけでいたセントサイモンを自分たちのものにして揶揄ってやろうと企み、肩を組んで大きくセントサイモンを囲んで抑えつけようとした事があったらしい。が、近付いてきた青年たちを見たセントサイモンは即ブチギレて彼ら目掛けて突進、大暴れ。あっという間に蜘蛛の子を散らすように追い払っていった事もあったという(青年たちの中にはあわや殺人事件、という目に遭った人もいたらしい)。



暴走癖

上述の20馬身差勝利に関係する。気性難であることに加えて、競走馬としての身体能力の高さが合わさったことによる暴走癖はただ事ではなかったという。


こと速度とスタミナという点においては対戦相手となったGIタイトルホルダー達でも比べ物にならなかったとされ、ドーソン調教師も、

  • 1ハロン(=約200m)の距離でも、セントサイモンは3マイル(=約4800m)を走る時と全く同じ調子で疾走した。この馬には距離の長短はいささかの問題にもならなかった。

と語っている。


ある重賞勝利馬とのマッチレースでは、対戦相手陣営が「こんな馬と同列に扱われるなんて不愉快だ!スタートしたらすぐに飛び出して、あの乞食野郎の喉を掻き切ってしまえ!」とセントサイモン陣営を激しく挑発した。

この挑発にセントサイモン側の調教師・騎手とも激怒。ドーソン調教師に至っては「売られた喧嘩は買ってやる!今の言葉をそっくりヤツに返してやれ!」と言い放つ程意気込んでレースに臨んだ。セントサイモンも相手の挑発を理解したのか、スタート後瞬く間に差を広げると2ハロン(=約400 m)通過時点で20馬身もの差をつけた。さらにその時点で騎手が手綱を引き、対戦相手にまるで実力差を見せつける様に相手が追いつくのを待ち、その後も正確に3/4馬身差を保ちつつゴールしたという。強靭な身体能力を持つからこそ可能な舐めプである。(なお、このレースで強烈な敗北感と絶望を味わった対戦相手陣営は、そのショックからこの時の対戦馬を去勢してしまったという。この馬自体もここまで順調に重賞を勝ち進み、将来を期待されていた注目馬だったというから恐ろしい話である。)


このように身体能力の高さは究極的なのだが、問題は上記の気性難。レースにおいて彼は一度たりとも全力を出さなかった。否、全力を出すことを許されなかったのである。

手綱を緩めでもしたらどうなるか分かったものではなく、主戦騎手を務めたフレッド・アーチャーは、レースでは常に暴走しようとするセントサイモンを全力で抑えつける事に終始していたという。


セントサイモンの現役時代、イギリスで権威の高い競走であったアスコットゴールドカップ(芝約4000m)に出走したときの破天荒なレース展開は有名である。

このレース、体重調整がうまくいかなかったため主戦騎手のアーチャーは乗れず、この年のエプソムダービーを勝ったチャールズ・ウッド騎手が騎乗した。(主戦騎手ではない事に嫌な予感がしたあなたは正しい。)

スタート直後は後方を進んでいたものの、普段の乗り手と違う事が気に入らなかったのか、それともレース展開に腹が立ったのか、残り6ハロン(=約1200m)付近でウッド騎手が手綱を緩めると突如暴走を始めた。制御不能になったセントサイモンは、全馬一気に抜き去るとそのまま前年の勝ち馬トリスタンに20馬身の差をつけて勝利。更にゴール後も気が収まらなかったのか騎手の制止を振り切り暴走し続け、1マイル(=約1600m)も余計に疾走し続けたという。この時の斥量はセントサイモンが112ポンド、トリスタンは135ポンドとかなりの差があったが、着差があまりにもかけ離れていたために仮にハンデが無くともセントサイモンの勝利は一切揺るがなかっただろうと言われている。

(なおこの時の対戦馬トリスタンは最終的に1883年アスコットゴールドカップ(G1)制覇、ドーヴィル大賞典(現在のパリ大賞典・G1)、チャンピオンステークス(G1)3連覇を含む29勝を挙げた超一流馬である。)


一度も全力でレースをした事が無いとされるセントサイモンだが、アーチャー騎手によればたった一度だけ全力疾走をしたことがあるという。3歳時のトライアルレースの際、アーチャー騎手がセントサイモンの調子が悪そうと感じ拍車(カウボーイが履いているブーツの踵にあるアレ)をかけると、それに怒ったセントサイモンは大暴走を始めた。

そのままセントサイモンは同じ厩舎の馬達をあっという間にちぎり捨て(見ていた人曰く、「同厩舎の馬ばかりか、別の調教師の馬の前すらも駆け抜け、それらをまるで狐を前にした鳩の様に追い散らして行きながら」)、周囲の人間たちの視界から消えていった。

その後、町はずれまで猛スピードですっ飛んできたところで、ようやくアーチャー騎手はセントサイモンを止めることができた。

顔面蒼白になって鞍から降りたアーチャー騎手は仲間たちにこう言ったそうだ。

  • 私は生きている限り2度と拍車は使わない。これは馬ではなく煮えたぎる蒸気機関車のようだ。

もはや馬じゃない。

なお、この時のトライアルレースの相手は後の二冠牝馬ビジイボディと、ダービー馬になるハーヴェスターであった。その他、彼と生涯戦った馬はそのほぼ全てがGI級勝利馬や後にGI級を獲得する馬、重賞を勝ち進んだ強豪馬ばかりであり、いかにセントサイモンがずば抜けているかが分かるだろう。

セントサイモンの疾走する姿はドッグレースなどに使われる狩猟犬種グレイハウンドにそっくりだったという。上記の殺意を考えればこの馬は競走馬ではなく狩猟馬と言った方が正しいのかもしれない。



産駒に伝わる悪魔の遺伝子

当然産駒にも高い身体能力と悪魔の気性は受け継がれる。

直接の産駒はどれも気性難で有名だったが、その中でも特に有名なのがダイヤモンドジュビリー

ただでさえ超絶気性難なセントサイモンに、更に神経質で気難しいパーディタを牝馬に選んだ結果、生まれた子供は「世界広しと言えども、この馬以上に気性の荒い競走馬はいない。」とまで言われ、悪魔の子と評されたほどである。とは言え、彼も父同様、競走馬・種牡馬双方で成功を収めた。

まあサンデーサイレンスやステイゴールドの産駒にも大人しい馬がいたように、一部には例外もいたようだが。


そして父系としては衰退したとはいえ、こんなヤツの血が全てのサラブレッドに入っているのである。彼を知る生産者の中には気性難の馬が生まれた際に「先祖返りを起こした」と呟く人もいるとか。現代に続く気性難馬の正に根源ともいえるだろう。




余談・悪魔のちょっと可愛いところ

とても馬とは思えない怪物であるが、そんな怪物にも1つだけ可愛らしい(?)エピソードがある。

なんとこの馬、なぜか蝙蝠が苦手だったそうだ。

蝙蝠傘を広げると怯えて後退りするほど苦手だったそうで、暴れて手が付けられなかったときや、どうしても言う事を聞かせる必要があった際には、杖に帽子をかぶせて蝙蝠傘に見立てることで落ち着かせていたという。



関連タグ

ダイヤモンドジュビリー:悪魔の性質を最も濃く受け継いだ産駒。が、この馬も素晴らしい戦績と種牡馬成績を持つ名馬である。

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