概要
種牡馬としても大きな実績を残した。
生産者はオーナーブリーダーであるハンガリー貴族、バッチャーニ・グスターヴ。生後すぐにバッチャーニが死去しているため、馬主は第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクに変わっている。
馬名の由来は当時バッチャーニが傾倒していたフランスの社会主義思想家、アンリ・ド・サン=シモン。
プロフィール
生年月日 | 1881年 |
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英字表記 | St. Simon |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ガロピン |
母 | セントアンジェラ |
競走成績 | 10戦10勝(非公式1戦含む) |
獲得賞金 | 4676ポンド |
異名 | 煮えたぎる蒸気機関車(Blooming steam-engine) |
管理調教師 | ジョン・ドーソン→マシュー・ドーソン |
厩務員 | チャールズ・フォーダム |
馬主 | バッチャーニ・グスターヴ→第6代ポートランド公爵 |
生産 | バッチャーニ・グスターヴ |
競走馬・種牡馬として
生涯無敗、現代のサラブレッドのほとんどに血が受け継がれているという種牡馬成績を残し、イギリス、ひいては世界を代表する競走馬。
デビュー前は見栄えのしない馬体や血統の悪さのため期待されておらず、さらに元の馬主が死亡したため当時のルールによりクラシックを戦う事はできなかったが、その代わりに下級戦やマッチレース、古馬の上級戦に出走を続けて勝利を重ねた。
ペースメーカーが用意されていないトライアルレースでの出走を含めれば10戦以上こなし、無敗であった。
殆どのレースで圧倒的な差を付けて勝利しており、1884年のアスコットゴールドカップ、グッドウッドカップではクラシック勝利馬・GⅠ勝利馬などの強豪を相手に20馬身以上の差をつけて勝利する怪物ぶりを見せた。
1886年から種牡馬入りして空前の成功を収め、牡馬と牝馬で1頭ずつの三冠馬を出し、1900年にはクラシックを全勝し、「セントサイモン系に非らずはサラブレッドに非らず」と言われるほどで、その血統は世界の競走に多大な影響を残した。
セントサイモンの死から半世紀を待たず、セントサイモンの血を持たないサラブレッドはほぼ姿を消し、現在では存在しないと言われている。
日本でもその影響は大きく、東京優駿の勝利馬は第一回(1932年)のワカタカから現在に到るまで、全てセントサイモンの血を引いている。
全世界のサラブレッドにおよそ10%含まれているセントサイモンの血は、今後も薄まることはないだろうと言われている。
しかしその種牡馬成績により「セントサイモンの悲劇」と呼ばれる現象も引き起こした。
余りにも血が広がりすぎたために近親交配の危険性が高まり、結果不受胎や貧弱な仔馬が生まれてしまったり、近親交配を避けるために種牡馬として敬遠されるなどが起こってしまう。
その遠因となったのが『ジャージー規則』と呼ばれるもの。
これはアメリカ合衆国産馬であるレキシントンの産駒達が立て続けにイギリス伝統のレースに勝っていた為、イギリスのジョッキークラブの会長であった第7代ジャージー伯爵によって1913年に作られたのが本法。
簡単に言ってしまえば、先祖全てが「ジェネラルスタッドブック(サラブレッドを定義付ける血統書)」に記載されていない馬はサラブレッドとして認めない。つまり血統不詳のレキシントンの血を引く馬にイチャモンを付けてレースから排除しようとしたのである。
無論これにより、海外から新しい血を入れることができなかった事も相まって、イギリス国内でセントサイモン系は大繁栄の後に大衰退を起こすことになり、そこの規則の為に処分され悲しい運命を辿った馬を多数生み出した、競馬史上最悪とも言える悪法であった。
他方、ジャージー規則に類する規則がないフランスではこうした悲劇が起こらず、イギリスで弱体化したセントサイモン系の馬が、フランス生まれのセントサイモン系に軒並み惨敗し蹂躙される事態に発展する屈辱的な出来事も起きた。結局ジャージー規則が撤廃されたのは1949年のこと、これらが問題になった上に米仏の抗議された末の撤廃であった。
この血の警告はサンデーサイレンスの血が大繁栄している日本でも決して軽視できない教訓であり、生産者たちは海外から新たな血を取り入れる努力をしている。
このように競走馬、種牡馬共に一流のセントサイモンだが、この馬の凄さはもう一つの要素で語られることが多い。
気性難・怪物としての所以
セントサイモンは非常に気性難な馬であった。
しかし、彼の気性の荒さはもはや気性難という言葉で言い表せるようなレベルではない。
もちろん気性難な馬は、現代でも数多いる。
特に現代における有名どころとして挙げられるとすればステイゴールドが有名であり、父のSSに母、母父、母の兄貴はもちろん、息子も産駒一凶悪な奴からその弟の金色三冠馬、ホワイトライオン呼ばわりされた白いアレらを含めて殆どが気性難と言う、その筋のエリート中のエリートとも言える。
だがセントサイモンは、こういった気性難持ちの馬どもが生ぬるく…いや可愛く見えるレベルである。
というか、それらの馬の気性難が(こう言っては苦労した関係者の方々には申し訳ないが)ある種のギャグや、わがままお嬢様、真面目過ぎた天才少女と言ったチャームポイントとしてファンから受け入れられているのに対し、セントサイモンのやったことは「マジで人間を殺しに来る」類のどう贔屓目に見ても笑えないものばかり。
唯一並び立てるのは、同じく凄まじい気性難かつ大種牡馬であるヘイロー(上に書いたSSの父)ぐらいであり、実際セントサイモンの気性に関する話で引き合いや比較に出されるのは断トツでヘイローが多い。
殺意
セントサイモンの厩務員は彼の世話を常に命懸けで行っていた。これは言葉の比喩ではなく本当に命懸けだった。
そもそも普通の馬の世話自体、決して楽なものではない。あの体重と脚力が人間に少し向いただけでもどうなるかは素人でも想像がつくとは思うが、セントサイモンの恐ろしさはその殺意にある。
なにせ彼は常時怒りモードと呼ばれる程に気性が荒く、厩務員がほんの少しでも隙を見せようものならすかさず本気で殺しにかかってくる。
とにかく他者に何かを強制されることを極端に嫌い、何か指示を受けたら即怒髪天を衝く勢いで暴れまわる。関係者の話では常に掛かりを起こし発汗し続けていたというほどである。
ドーソン調教師はセントサイモンの気性について「まるで電気か何かのようだ」と評し、担当厩務員たちには
- 1.機嫌を損ねない冷静さ
- 2.一切の隙を見せない緊張感
- 3.日々繰り出される蹴り、踏みつけ、噛み付き等の攻撃に耐えられる精神力
即ち、セントサイモンからの人間虐待に対する忍耐力が常に求められていたのである(もうこの時点で何かがおかしい)。
強烈なエピソードとしては気性改善のために馬房へ入れた猫の話がある。
数ある動物の中でも馬と猫は相性が良いと言われ、ノーザンテーストやナイスネイチャなど、猫と戯れる馬の様子は多く撮影されている。
過去にはハンガリーの54戦54勝の名馬・キンチェムなどが猫を馬房に入れることで気性が改善した、という事例がある。そのことを知ったスタッフ達が彼の馬房に猫を入れてみたことがあった。
が、なんと彼は入ってきた猫を見るやいきなり口で猫を咥え、そのまま天井に思いっ切り叩きつけて打ち殺してしまったのである。
あまりにも猫が不憫すぎる。あのステイゴールドでさえ猫にはデレていたのに。
このまま種牡馬入りすれば種付相手の牝馬を殺しかねないため、その後も様々な気性改善が試みられたが結局全て無駄に終わり、生涯このままだったという。もしも競走馬としての能力が今一つだったら間違いなく去勢されていただろう。
暴走癖
上述の20馬身差勝利に関係する。気性難であることに加えて、競走馬としての身体能力の高さが合わさったことによる暴走癖はただ事ではなかったという。
こと速度とスタミナという点においては対戦相手となったGIタイトルホルダー達でも比べ物にならなかったとされ、ドーソン調教師も、
- 1ハロン(=約200m)の距離でも、セントサイモンは3マイル(=約4800m)を走る時と全く同じ調子で疾走した。この馬には距離の長短はいささかの問題にもならなかった。
と語っている。
特にこのテの話で知られるのは、リッチモンドステークスの勝ち馬であったデューク・オブ・リッチモンドとのマッチレースであろう。
この際、リッチモンド陣営の調教師が「こんな馬と同列に扱われるなんて不愉快だ!スタートしたらすぐに飛び出して、あの乞食野郎の喉を掻き切ってしまえ!」とセントサイモン陣営を激しく挑発した。
この挑発にセントサイモン側の調教師・騎手とも激怒。ドーソン調教師に至っては「売られた喧嘩は買ってやる!今の言葉をそっくりヤツに返してやれ!」と言い放つ程意気込んでレースに臨んだ。
セントサイモンも相手の挑発を理解したのか、スタート後瞬く間に差を広げると2ハロン(=約400 m)通過時点で20馬身もの差をつけた。さらにその時点で騎手が手綱を引き、デューク・オブ・リッチモンドにまるで実力差を見せつける様に相手が追いつくのを待ち、その後も正確に3/4馬身差を保ちつつゴールしたという。強靭な身体能力を持つからこそ可能な舐めプである(なお、この挑発した調教師と言うのが、かの有名なジョン・ポーターであった。そして強烈な敗北感と絶望を味わったリッチモンド陣営はそのショックからこの時の対戦馬を去勢してしまったという。この馬自体もここまで順調に重賞を勝ち進み、将来を期待されていた注目馬…しかも名前の通りリッチモンド公爵の所有馬だったというから恐ろしい話である)。
このように身体能力の高さは究極的なのだが、問題は上記の気性難。レースにおいて彼は一度たりとも全力を出さなかった。否、全力を出すことを許されなかったのである。
手綱を緩めでもしたらどうなるか分かったものではなく、主戦騎手を務めたフレッド・アーチャーは、レースでは常に暴走しようとするセントサイモンを全力で抑えつける事に終始していたという。
セントサイモンの現役時代、イギリスで権威の高い競走であったアスコットゴールドカップ(芝約4000m)に出走したときの破天荒なレース展開は有名である。
このレース、体重調整がうまくいかなかったため主戦騎手のアーチャーは乗れず、この年のエプソムダービーを勝ったチャールズ・ウッド騎手が騎乗した(主戦騎手ではない事に嫌な予感がしたあなたは正しい)。
スタート直後は後方を進んでいたものの、普段の乗り手と違う事が気に入らなかったのか、それともレース展開に腹が立ったのか、残り6ハロン(=約1200m)付近でウッド騎手が手綱を緩めると突如暴走を始めた。
制御不能になったセントサイモンは全馬一気に抜き去るとそのまま前年の勝ち馬トリスタンに20馬身の差をつけて勝利。更にゴール後も気が収まらなかったのか騎手の制止を振り切り暴走し続け、1マイル(=約1600m)も余計に疾走し続けたという。この時の斥量はセントサイモンが112ポンド、トリスタンは135ポンドとかなりの差があったが、着差があまりにもかけ離れていたために仮にハンデが無くともセントサイモンの勝利は一切揺るがなかっただろうと言われている。
(なおこの時の対戦馬トリスタンは最終的に1883年アスコットゴールドカップ(G1)制覇、ドーヴィル大賞典(現在のパリ大賞典・G1)、チャンピオンステークス(G1)3連覇を含む29勝を挙げた超一流馬である)
一度も全力でレースをした事が無いとされるセントサイモンだが、アーチャー騎手によればたった一度だけ全力疾走をしたことがあるという。3歳時のトライアルレースの際、アーチャー騎手がセントサイモンの調子が悪そうと感じ拍車(カウボーイが履いているブーツの踵にあるアレ)をかけると、それに怒ったセントサイモンは大暴走を始めた。
そのままセントサイモンは同じ厩舎の馬達をあっという間にちぎり捨て(見ていた人曰く、「同厩舎の馬ばかりか、別の調教師の馬の前すらも駆け抜け、それらをまるで狐を前にした鳩の様に追い散らして行きながら」)、周囲の人間たちの視界から消えていった。
その後、町はずれまで猛スピードですっ飛んできたところでようやくアーチャー騎手はセントサイモンを止めることができた。
顔面蒼白になって鞍から降りたアーチャー騎手は仲間たちに、
- 私は生きている限り2度と拍車は使わない。これは馬ではなく煮えたぎる蒸気機関車のようだ。
と言ったそうである。
もはや馬として扱われていない。
なお、この時のトライアルレースの相手は後の二冠牝馬ビジイボディとダービー馬になるハーヴェスターであった。
その他、彼と生涯戦った馬はそのほぼ全てがGI級勝利馬や後にGI級を獲得する馬、重賞を勝ち進んだ強豪馬ばかりであり、いかにセントサイモンがずば抜けているかが分かるだろう。
セントサイモンの疾走する姿はドッグレースなどに使われる狩猟犬種グレイハウンドにそっくりだったという。上記の殺意を考えればこの馬は競走馬ではなく狩猟馬と言った方が正しいのかもしれない。
産駒に伝わる悪魔の遺伝子
当然産駒にも高い身体能力と悪魔の気性は受け継がれる。
直接の産駒はどれも気性難で有名だったが、その中でも特に有名なのがダイヤモンドジュビリー。
ただでさえ超絶気性難なセントサイモンに、更に神経質で気難しいパーディタを牝馬に選んだ結果、生まれた子供は「世界広しと言えども、この馬以上に気性の荒い競走馬はいない。」とまで言われ、悪魔の子と評されたほどである。とは言え、彼も父同様、競走馬・種牡馬双方で成功を収めた。
まあサンデーサイレンスやステイゴールドの産駒にも大人しい馬がいたように、一部には例外もいたようだが。
そして父系としては衰退したとはいえ、こんなヤツの血が全てのサラブレッドに入っているのである。彼を知る生産者の中には気性難の馬が生まれた際に「先祖返りを起こした」と呟く人もいるとか。
現代に続く気性難馬の正に根源ともいえるだろう。
セントサイモンと蝙蝠傘
そんなセントサイモンだが、1つだけ弱点があった。
何故かこの馬、蝙蝠傘が苦手で、広げると怯えて後退りするほどであった。
暴れて手が付けられない時やどうしても言う事を聞かせる必要がある時は杖に帽子をかぶせたものを蝙蝠傘に見立てることで落ち着かせていたという。
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ダイヤモンドジュビリー:悪魔の性質を最も色濃く受け継いだ産駒で、上記にもある通り「世界広しと言えどこの馬以上に気性の荒い馬は存在しない」「もはやロデオで使った方がいい」と言われるほどだった。
が、この馬もまた、素晴らしい戦績と種牡馬成績を持つ紛う事なき名馬である。
ヘイロー(競走馬):上記の通りセントサイモンに勝るとも劣らない気性難であると同時に偉大な大種牡馬でもある競走馬。
元々大人しい性格ではなかったようだが、性質の悪い厩務員に熊手で叩かれる等の虐待を受け続けてきた結果「人間を本気で憎んでいる」「人獣問わず近付くことは死を意味する」と言われるほどの気性難かつ大の人間嫌いとなった。そのため人間への攻撃性や殺意はセントサイモン以上とも言われる。
なお、当然ながらこの馬にもセントサイモンの血が入っている。