人物
1937年1月14日生まれ、大阪府枚方市出身。出生名・木下 雄二(きのした ゆうじ)。
全国大会への出場歴を持つ馬術選手が父親だった影響で幼い頃から馬と親しむ。自らも馬術を習い、高校時代には全国大会にも出場した。
父親に押し切られる形で伊藤正四郎厩舎の見習い騎手となり、1959年に騎手デビュー。平地・障害双方で活動し、騎手として計72勝を掲げた。
翌年の1960年、伊藤家に婿入りして「伊藤雄二」に改名。坪重兵衛厩舎に移籍して騎手生活を続けていたが、正四郎が死去したため、舅の跡を受け継ぐため調教師への転向を決意。
1966年、阪神競馬場にて自らの厩舎を開業(1969年より栗東トレーニングセンターに移籍)。
1968年、デヤレストで阪神障害ステークス(春)を勝利し、障害重賞初制覇。
1977年、ハードバージで皐月賞を勝利し、平地GI/重賞初制覇。
2007年を以て定年により引退するまで、マックスビューティ・シャダイカグラ・スカーレットブーケ・ダイイチルビー・ワコーチカコ・エアグルーヴ・ファインモーション・エアメサイアなど数々の名牝を手がけ、牡馬でもウイニングチケット・ロイヤルタッチ兄弟、マチカネタンホイザ、メイショウビトリア、エアダブリン、エアエミネムなどを輩出し、通算1153勝(GI13勝)を挙げた。
引退後も競馬番組にゲスト出演したり、競馬紙にコラムや評論を書き下ろしなど精力的に競馬に携り、2014年には調教師時代の実績が称えられ、殿堂入りを果たした。
エアグルーヴはじめ伊藤厩舎の管理馬たちに多く騎乗した武豊騎手、マックスビューティーの主戦であった田原成貴元騎手、ウイニングチケットの主戦であった柴田政人元騎手、伊藤厩舎管理馬のライバルである名馬を数多く手掛けてきた藤沢和雄元調教師はじめ数々の競馬関係者が、その死を悼むコメントを発表した。