OinK(Only in Korea)
元々はアメリカの投資ファンド会社が韓国の赤字銀行を立て直して売却(韓国法的に何も問題がない)しようとしたら、韓国政府があり得ない難癖をつけてその銀行を奪い取ってしまった『ローンスター問題』より生まれた造語で『韓国でしか起こり得ない』という意味である。
韓国の特徴
何より「感情」を重んじる韓国はゴネ得がまかり通る文化を持つ国である。
一応法治国家という体面を持つものの、実際は「法」よりも「感情」を優先される場面も少なくない。
司法や行政であってもそれは変わらず、通常の法治国家では有り得ないトンデモ判決やトンデモ法案がまかり通る情治国家という側面が強いのが現状である。
外国人もしばしばそれによる被害を受けることがあり、それを「Only in Korea(韓国でしか起こりえない)」と豚の鳴き声と掛けて「OinK」というのである。
また、韓国では「正義は法より尊い」と考える文化がある。その正義は「韓国主観による一方的なもの」で外国人が受け入れ難いものが多いのだが、一度正義の大義名分を掲げれば韓国人は国際法すら破っても構わないと考えるのである。通常の法治国家が「法>正義」なのに対し、韓国は「正義>法」であるため、いくら日本が「国際法を守れ」と言っても韓国人からしたら「正義は我々にあるのだから国際法を守る必要はない」と考えているため全く話が噛み合わないのである。
韓国における正義とは通常は『民心』つまり、国民感情である。通常の法治国家において国民感情は簡単に扇動されるものであり、容易に誤るからこそ絶対的な指針として法があるのだと考える。だが法より正義を重んじる韓国において『民心』は絶対であるものと考える人も少なくない。例え裁判官が韓国法や国際法などに基づいた判決を下してもそれが『民心』に反していれば、まるで反逆者であるかのように叩かれてしまうことがある。
韓国文化は大義名分を尊び、更に強固な上下関係があり、韓国人は常に相手は自分より格上か格下かを推し量っていて格上なら友好的な態度を取り、格下なら不遜な態度を取る。
そのため日本人にとって些細な言動でもそれが形式内のものであれば重要な事と捉える。例えば公式会議や式典などで賓客が赤い絨毯を外れて歩いた、例えば会食会の賓客同士位置など一見日本人にはどうでもいい事であっても韓国人には国同士の態度や力関係を推し量る重要な材料として捉える。
更にこの大義名分と強固な上下関係から「道徳的優位性」というものを重要視する。つまり被害者が絶対正義、加害者は絶対悪と考えるものである。韓国文化において「被害者」とは絶対的な正義と絶対的な強者という立ち位置を併せ持つある意味究極の存在なのである。
セウォル号事件の遺族の政府への言動を見てもわかる通り一度「被害者」という大義名分を得れば「加害者」にかなり理不尽な命令でも要求できる。
日本との拗れ
これらが日本との歴史問題をややこしくする主要因といえる。韓国人にとって自分たちは日本の「究極の被害者」と考えるため、彼らにとって日本からどんなに支援を受けてもそれは「被害者」が「加害者」から受けられる当然の権利だし、自分たちは正義なのだから日本との間であれば国際法だろうと条約だろうと破っても問題ないと考える。例え日本が約束を守らないからと報復をしても、彼らは「戦犯国(加害者)の分際で国際法を持ち出して報復してくるとは何事だ!反省していない証拠だ!」と批判を受けるのである。
しかも、これに対する日本の態度は、韓国がなにか言う度謝罪謝罪謝罪のまた謝罪。
事なかれ主義に、敗戦による自信喪失、国際的な批判を受け続けることに対する不安感などから、「理由はともかく、とりあえず相手が怒っているから謝ってしまおう」、という卑屈な態度が普段から身に染み付いていて、相手の要求に対する内容の精査、理論的な考察より先にとりあえず頭を下げてしまうのだ。
ただ、「謝罪だけではたりない、反省をするなら賠償しろ」(カネを寄越せ)、と言われると、これは日韓基本条約とそれに付帯する各種協定を“韓国側に”破らせるかたちになってしまう。この為日本側で色々考えて、建前上民間の基金ということにしたり、通貨スワップというかたちにしたりするなど、なんとか迂回ルートを作って至近を提供する。韓国側は、それを一旦は合意するものの、大統領が代わると、前政権の全否定と連動して、また「賠償しろ」と言い始める。
実は、日本のこの下手に出る態度がOinKを作ってしまったと言ってもいい。たしかに、バブル崩壊以降、日本国内はなんとなく閉塞感が漂っているとは言え、世界全体で見るとアメリカ・中共についで3位(しかも、韓国は、中共は共産主義という「悪徳」に染まっているため、日本が実質2位の感覚)。その日本が数十年に渡ってこの態度だったため、「それなら日本以外にも自分達のやり方が通用するだろう」と思い込んでしまったのだ。
日本の特徴
ただ、韓国と日本の態度、これは実は儒教に基づく文化、というところを共有している。ただ、日本は基本的に、「自分の方が譲って、相手を立てる」という考え方のため、まず自分の方を一段下げて振る舞うクセがある。これが韓国と非常に相性が良くなく、謝罪の無限ループに陥ってしまうのだが────
「大義名分を尊び、更に強固な上下関係があり、常に相手は自分より格上か格下かを推し量っている」。これは実は日本も根っこの部分で同じ。ただ、日本の前述のやり方は、自分達の地位を推し量るにあたって実際のデータを重視する傾向と合わさり、西欧諸国との関係を築く上で割合プラスになる面があった。ただ、「相手が不道徳で、実際には自分達より格下」と位置付けると、それまで貯めるに貯めたフラストレーションと相まって、いきなり態度を変えて相手に攻撃的になる。
一転攻勢
21世紀に入り、Webが普及し、様々な情報に触れた結果、「韓国の不道徳」つまり、日韓併合までの流れ、併合中の実際の朝鮮半島の状況、創氏改名強要のウソ、自虐が入っている日本の現状の歴史教育と比べてもおおよそ嘘八百の韓国歴史教育、無理やりが過ぎる韓国起源説、李承晩ラインとそれによる日本の人的・経済的被害などを(一部誇張・偏向した形で)日本人が知ってしまう。
一方で、日本の国際的地位は「マスゴミども」が言っているより割と高く、自衛隊は割と強く、しかも前の戦争に対して東南アジア諸国は言うほど怒っていない。それに比べて韓国は────
その結果、「謝罪が足りない、まだ反省していないな!」「……反省しなきゃならないのはどっちなんですかねぇ、あぁ゙ん!?」となる。
これがかなり多数の国民に蔓延した結果が、今日の極端な嫌韓感情の高まりとなった。
「ヒィッ!? チョッパr「今なんて言おうとしたぁ!?」「あ、あのイルボン怒っちゃいや」「誰のせいで怒ってると思ってんだ!?」「ヒィッ……だ、誰か……あ、アメリカ助けて」「バカヤロこっち見るんじゃねぇ、俺達は日本がこのモードに入ると手がつけられないのは身にしみて知ってるんだよ!!」
日本が韓国に対して実際に制裁を始めると、韓国の考え方から「諸外国は日本を反省させなければならない」となるのだが、諸外国にしてみれば日本を攻撃しても自分達に利益はなく、被害ばかり出るためそんなことはしない。特に欧米諸国は一度戦争という形で日本の怒りが炸裂した時の攻撃性を知っている。
なので誰も助けることはなく、ただ、日本国民のWebを通しての嫌悪感の発露と、日本政府・企業の表では友好を取り繕いながらの粛々とした制裁、の逆転した無限ループが待ち受けているのだ。
知れば知るほど嫌いになる国
親韓や中立的な人でも韓国の歴史などを詳しく知ってしまうと嫌韓に変異する事がある。これは韓国に好意を持っている人の多くが韓国のドラマや料理などの韓国の良いとされる部分、いわゆる韓流しか見ていないからであり、それでも親韓もしくは中立であろうとするには、韓国を受け入れられるほどの胆力がない限りは見ないフリをするしかなくなる。
日本人が韓国を嫌うならまだしも、日本以外の国もスポーツでのラフプレーや国際的な場での無礼な行いなど、様々な理由で韓国を嫌う人が増えていき、最近だと韓国に嫌気が差す韓国人も出てき始めた。
儒教による悪影響
韓国(というよりも朝鮮民族)の文化において儒教、特に朱子学が強い影響力を及ぼしている。
儒教は「法治」を否定し「徳治」を是とする思想がある。ここでの「法治」とは西洋における法を絶対的なルール(国家と国民との間の契約)とする考え方ではなく、君主を法と考える専制支配の事である。即ち儒教における「法」とは支配者層の都合による国民の一方的な支配の方便を示し、支配者の利害によって守る守らないが決まる謂わば「ビュッフェ式」の極めて曖昧なものである。
後にこの専制支配の「法治」と西洋の「法治」が同一視された結果、韓国において法治国家でありながら法とはあまり信じられるものではないという風潮が根付いてしまっている。
更に朱子学は「高徳者に絶対服従」という思想であり、そこから時代とともに徳が情へ置き換わり、法より情を優先する文化と強固な上下関係だけが残る形となった。
その上この「法治」の否定から約束を守るという概念がとても希薄であり、彼らの文化では約束しても都合が悪くなれば守らなかったり、約束の内容を「後で都合が良いように変えればよい」という感覚でいる。更に「徳治」(現代では情や正義、大義名分)を優先する文化が加わり、これが「自分たちが正義なら約束など一切守る必要がない」という思考の元になっている。
それが韓国が「約束を守らない国」と言われる所以であるが、彼らの文化にとってそれが当たり前であるため、それについて責められても「正義は我々にあるのだ。約束を守らなかった程度で何故そこまで責められなければならない!」と憤慨するので話が噛み合わないのである。(自分たちのこの文化が世界的に見ても特異なものである事を理解しようとしない。)
小中華思想による悪影響
韓国の文化において小中華思想も今日でも強く影響を及ぼしている。
中世以前の朝鮮半島において中国の隣国である自分たちは中華に次ぐものと考え、それより離れている国々を見下す文化がある。
その文化が残っている韓国人にとって島国の日本人は辺境の蛮族だと見下す考えが色濃く残っている。この小中華思想と朱子学に従えば「下等民族である日本人は韓国人に従うべき存在」であるが、だが同時に「日本が韓国より世界的に認められてる」事も理解しているため、韓国人は日本人を見下しながらも何とかしてマウントが取れないかといつも考えている。これらが外交などを含め日本への対応に色々悪い影響を及ぼしているのである。
ちなみに現在小中華思想と朱子学による韓国人にとっての民族序列はかつて最上位だった中国が落ちて代わりに白人に置き換わり、下位の日本中国を含む他のアジア人や黒人を見下し、上位の白人に対して非常に有効的な態度を取るようになっている。つまり韓国人の中では「白人>韓国人>他アジア人>黒人」という序列が出来上がっているのである。よく韓国人はレイシストだと言われることがあるが、実は彼らは単にこの序列に従って下位の民族を見下しているに過ぎない。
これも約束を守らない事と同様だが、韓国人にとってそれが当たり前であるため、当然のように傍若無人に振る舞った結果、東南アジア人や黒人に嫌われても何故自分たちが嫌われているか理解できないのである。(韓国人たちは韓国の文化の価値基準に従っているだけであり、自分たちがレイシストだとは思っていない。)
反米の根本
「韓国では反米もあるから白人を上に見ているのは間違いではないか」という意見もあるだろう。これは白人を見下しているのではなく、むしろ逆で見上げて妬んでいるのである。
よく韓国で反米と同時に親北というものを聞いたことがあるだろうか。敵国であるはずの北朝鮮に対して友好的というより信奉するかのような人々。これは彼らにとって韓国はアメリカによって云うなればホワイトナイズされた国なのに対し、北朝鮮は朝鮮民族独自の文化を保持し続けている国だと信じているためである。(過去朝鮮は日本に併合されたのだからその理屈はおかしいと思うが。)
そんな彼らにとっては「北朝鮮こそが本当の朝鮮民族の国であり、韓国は偽物」と考えて負い目を感じている。そして韓国をそのようにしたアメリカに対し、自分たちの自尊心を傷つけたものとして憎むのである。
もちろん多くの韓国人たちは「アメリカは朝鮮戦争時に恩義がある」と考えている。だがその反面、その事を含め「アメリカが韓国を助ける度に見下されている(あくまで韓国人の視点)」と感じ、自尊心を傷つけられてアメリカを憎む者が現れる。「もし日本人ならこの場合で自らの至らなさを嘆く」のとは対照的である。(憤りの向け方が日本人は内向きなのに対し、韓国人は外向きと真逆なのだ。)
つまり反米も親北も元を正せば韓国人の強い劣等感より生まれたものである。彼らは「自分より上」と判断したものに友好的な態度をとるが、それと同時に見下されていると錯覚すればその劣等感を刺激されて嫉妬と憎悪が生まれてしまうのだ。
この互いの劣等感を喰らい合う姿こそ、「韓国の強固な上下関係」の本質と言えるのかもしれない。(この強固な上下関係に対し「犬の文化」と自嘲する韓国人もいる。)
朝鮮文化が抱える根本的問題『客観性の欠如』
ここまで書くと矛盾を感じるはずである。韓国人は自身が見下されたり差別される事に異常なまでに敏感なのに、他アジア人や黒人を見下して嫌われても当たり前すぎてその原因が分からないという事に。日本人(一部を除き)の感覚なら自分がされて嫌な事は相手にもしないと考えるものである。だか韓国人はその矛盾を認識できない(したくない)のだ。
これこそが2chなどでネタにされる所謂「話が通じない韓国人」の原因であり、朝鮮文化が抱える根本的な問題ともいえる『客観性の欠如』である。韓国人(特に韓国文化にどっぷり浸かっている人)は客観性が足りないレベルではなく「全く無い」のである。無論韓国人も「客観性」という概念は知っている。だが韓国人が物事を客観的に見てると思っていても、それはあくまでも「主観」の範疇でしかなく、名前と概念の意味は知っているが本当の意味で理解してその視点を持つことができないのである。
それは言い方を変えれば「超主観」とも言え、全ての物事を自分目線だけと極めて狭い視野でしか判断していないことを意味する。主観から来る目先の感情に支配され客観的に「あの時相手の立場だったら」「あの時あの人は何であんな事をしたのか」といった自らを立ち返る事もしない。所謂「キチ」と呼ばれる人の共通点はいつも主観でしか物事を考えられない客観性が欠如であり、自らを客観的に立ち返れないからこそ反省ができず、反省できないから自らの行動を改善できない。だから同じ過ちを繰り返してしまうのだ。
同じように韓国人が自分が見下されるのが大嫌いなのに他者を見下しても矛盾を感じないのは、「自分が見下される事」と「相手を見下す事」という二つの出来事を主観のみで回帰しているためだ。主観のみならこの二つは別々の出来事に見えるが、もしここに客観性即ち第三者の視点を加えることでたちまち矛盾を感じ取る事が出来るのである。
この『客観性の欠如』は悪い意味で極めて汎用的な欠点であり、これが外国人から嫌われる韓国人の様々な悪癖の大きな原因の一つとなっている。即ち、根拠がないのに異常なまでに高い自己評価、周りの状態を正しく分析できない、間違っているのは相手だと決めつけて聞く耳を持たない、何でも責任転嫁をする、自分と異なる考えや立場を許容できない、真偽関係なく自分が都合の良い事しか信じない、何事も最大限自分の都合の良いように解釈する等である。
逆に外国などへ出て客観性を身に付けると自分が韓国人であることに恥ずかしくなるという。これが「呪縛から解放された韓国人」といえるのである。(例えば外国で韓国の歴史教育や反日が嘘だと知っても、それを受け入れるためには相応な客観性が必要になる。)