概要
1952年、韓国初代大統領、李承晩は「一四号告示」で「一国の領海は干潮時の海岸線より三海里を限度とする」という当時の国際法上の慣行を無視して朝鮮半島周辺200海里を領海とする事を一方的に宣言。アメリカや日本の抗議を無視し、日本領である竹島を侵略し、同線を侵犯したとして多数の日本漁船を拿捕し、乗員を釜山等に抑留した。
拿捕に当たっては、日本漁船を装って近づき操業のふりをして監視し、漁船が揚網作業に入り移動できなくなるのを見計らい不意に機銃掃射を加えて停船させ、乗り込むという狡猾な方法がとられ、銃撃により44人の死傷者が出た。抑留された乗員は3929人に及び、拿捕された船舶数は、海上保安庁巡視船を含め328隻に及んだ。(未帰還185隻、沈没3隻)
日本漁船が漁獲した魚は全て没収され、拿捕された船舶の一部は韓国海軍や海洋警察庁に編入され返還されなかった。抑留された乗員は狭い詰所や不十分な食糧といった不衛生な環境におかれ、さらに取り調べの際に虐待を受けた他、裁判で懲役や罰金刑の判決を言い渡された。
日韓政府の交渉により抑留された乗員は解放されたが、李承晩ラインは存続し、日韓基本条約締結の際の日韓漁業協定の成立(1965年)によってラインが廃止されるまでの13年間、日本の漁業に大打撃を与えた。
戦後唯一、外国軍によって非戦闘員が殺害された事件である。