1941年 |
1942年- 3月5日進水
- 6月30日竣工。横須賀鎮守府籍となる。海面防備部隊直率部隊に編入され、相模湾方面での哨戒に従事
- 7月20日、横須賀から資材輸送任務でキスカ島へ向かう
- 8月4日、キスカ島から輸送船を護衛して横須賀に帰投
- 8月31日、第31駆逐隊が編制され、巻波とともに編入
- 9月6日、呉から金剛、榛名を護衛してトラック泊地へ向かう
- 10月11日、ヘンダーソン飛行場を艦砲射撃する金剛、榛名を護衛してトラック泊地を出撃
- 10月14日、砲撃が終了して帰投中、これからヘンダーソン飛行場砲撃に向かう妙高、摩耶の護衛に五十鈴、巻波と共に加勢
- 10月15日、妙高、摩耶と共にヘンダーソン飛行場を艦砲射撃
- 10月26日、南太平洋海戦は前進部隊に配置された
- 11月3日、外南洋部隊に加勢
- 11月7日、ガダルカナル島への鼠輸送
- 11月12日、ショートランド泊地から第三十八師団を乗せた11隻の輸送船を護衛して出撃。揚陸地点のタサファロング岬へ向かう
- 11月14日、輸送船団はヘンダーソン飛行場からの米軍機に8度にわたる空襲を受け、輸送船11隻中6隻が沈没、佐渡丸が天霧、望月に護衛されてショートランド泊地に引き返した
- 11月15日、残存の輸送船4隻をタサファロングの浜辺に擱座させ、ショートランドに帰投
- 11月29日、ドラム缶に物資を詰め、親潮、黒潮、陽炎、巻波、高波と鼠輸送に出発。
- 11月30日、ルンガ沖海戦。ドラム缶投入中、襲撃してきた米艦隊の砲撃は警戒にあたっていた高波に集中し、炎上し沈没。鼠輸送隊の雷撃で米艦隊に大損害を与えたが輸送作戦は失敗
- 12月3日、第2次輸送。輸送作戦は失敗
- 12月7日、第3次輸送。輸送作戦は失敗
- 12月11日、第4次輸送。輸送作戦は失敗。照月が米魚雷艇に攻撃され大破炎上、自沈
- 12月14日、ラバウルに後退
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1943年- 1月2日、第5次輸送。輸送作戦は成功
- 1月14日、トラック泊地に後退
- 3月8日、トラック泊地から南海丸を護衛して瀬戸内海へ向かう。到着後、舞鶴に回航され修理
- 4月25日、横須賀から雲鷹、冲鷹、那珂を護衛してトラック泊地へ向かう
- 5月8日、トラック泊地から雲鷹、冲鷹、大和、妙高、羽黒を護衛して横須賀へ向かう。帰投後、北方部隊に編入
- 6月28日、舞鶴から幌筵島へ向かう。第一水雷戦隊に加勢
- 7月7日、キスカ島からの撤退(ケ号作戦)第一次作戦に参加。突入をあきらめ15日に帰投
- 7月22日、第二次ケ号作戦に参加。29日に作戦成功。帰投
- 8月3日、第二水雷戦隊に復帰。日本丸を護衛して舞鶴へ向かう。舞鶴へ帰投後、9月4日まで修理
- 9月15日、横須賀から鳥海、摩耶を護衛してラバウルに向かう
- 11月2日、タロキナへの逆上陸を支援するため出撃し、ブーゲンビル島沖海戦が生起
- 11月11日、第二次ラバウル空襲。港外に脱出するが米空母艦載機の爆撃を受けて航行不能となる
- 12月3日、水無月に曳航されてラバウルからトラック泊地へ向かう
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1944年- 1月15日、長良に曳航されてトラック泊地から呉に向かう。帰投して修理
- 7月9日、臼杵湾から第二艦隊の中枢を護衛してリンガ泊地へ向かう
- 10月18日、リンガ泊地から出撃
- 10月23日、パラワン水道において米潜水艦ダーター、デイスの攻撃を受け、愛宕、摩耶は沈没、高雄は航行不能。愛宕の乗組員を救助し、応急修理中の高雄の周囲を警戒。朝霜とともに高雄を護衛してブルネイへ向かうが、長波は座礁したダーターの調査のため途中で分離。ダーターから鹵獲した13mm機銃は後檣右舷側に装備された。その後、シブヤン海で空襲を受けて大破した妙高を護衛し、ブルネイへ退却
- 11月8日、レイテ島へ増援のための第4次輸送部隊に編入され、オルモック湾に向かい翌日到着
- 11月10日、オルモック湾からマニラに向かう途中、米陸軍機の攻撃を受け、高津丸、香椎丸が沈没。霞、朝霜とともに救助作業にあたる。その後、朝霜とともに第4次輸送部隊を離脱して第3次輸送部隊に合流し、再びオルモックへ向かった
- 11月11日、米空母艦載機から空襲を受け沈没。第3次輸送部隊は朝霜を除いて全滅した。長波乗組員数十名が、放棄され漂流していた浜波に乗り移り、機関の再始動に成功。しかし、動かし続けるには缶用の真水が足りず、擱座させる試みも失敗
- 11月12日、長波乗組員は迎えに来た大発に移ってレイテ島に上陸。浜波の船体はその後どうなったのか不明である
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1945年 |