ヒロシ(芸人)
ひろし
概要です…
本名:齊藤健一(さいとう けんいち)。旧芸名は「斉」の字を使った「斉藤健一」で、俳優業ではこちらを名乗っている。
芸名の由来は生島ヒロシ。たまたま雑誌の表紙に生島の名前があり、「親しみやすい名前だな」と思ったことから。
2000年代後半ごろ、哀愁が漂うBGMを背景に、熊本弁まじりで自虐ネタを言う「ヒロシです…。」ネタで大ブレイクした。
ホスト風の外見は、上京後しばらくホストとして働いていたことの名残り。
現在は個人事務所「ヒロシ・コーポレーション」を立ち上げ、社長を務めている。以前は吉本興業福岡支社(福岡吉本)、サンミュージックに所属していた。
※「モテないキャラなのにバレンタインデー生まれ」という設定で、2月14日生まれとしていた時期がある。
経歴
父親は炭鉱マンであった。
小学生のころ、「漫才ブーム」の最中であったことからお笑いに興味を持つ。
九州産業大学卒業後、両親の知人のツテで保険会社の営業となるが、仕事内容が合わず退職。
その後、吉本興業が主催するオーディション番組に応募するも落選。このとき、福岡吉本のスタッフから「この中(落選した中)でどうしてもお笑い芸人になりたい人はいるか?」と声をかけられ、スタッフに連絡して福岡吉本所属となる。
(なお、実際には大学在学中にも友人とトリオを組んで同番組に応募しており、不合格となっている)
福岡時代はいくつかの結成と解散の末、友納一彦と「ベイビーズ」というコンビを組んでいた。
福岡での仕事がうまくいかなかったため、「東京は芸能プロダクションが多く、新人発掘オーディションも頻繁に行われているだろう」と考え、福岡吉本を辞めてコンビで上京する。
その後、アルバイトをしながら地道に芸能活動を続ける。
ベイビーズ解散後、先輩芸人から「ホストはモテるし稼げるぞ」と吹き込まれ、歌舞伎町の小さなクラブで「冴神 剣(さえがみ けん)」の名前でホストとなる。
しかし、酒が飲めないと面接で話したにもかかわらず毎晩大量の酒を飲まされ、休もうとすると罰金を取られ、ついにはブラック労働に耐えられず脱走。一時はホームレス状態になるなど、過酷な生活で心身に不調を抱えるようになる。
本人はこの頃を「生き地獄」と総括している。
2003年にホストを辞め、実家に戻る。このころから「ヒロシです…。」ネタの元になるネタを書き始め、先輩でバンド仲間でもあったいつもここからの山田一成に見せたところ「いいじゃない!」と背中を押され、さまざまなライブやオーディションでこのネタを披露するようになる。
ある時サンミュージックから声をかけられ、正式所属となる。まもなく「エンタの神様」出演を果たし、以降全国区のテレビに多数出演するようになった。
ブレイク後は収入も増えたが、今度は週刊誌の報道やバッシングにあい苦悩を抱えた。
ヒロシ本人は幼少期から親族の顔合わせを嫌がる程の極度の人見知りであがり症でもあった。そのため、収録で「ひな壇」に座ることや他の芸人と同じ楽屋に入ることを嫌った。これがテレビ局に「天狗になっている」と誤解を招くことになる。
また、製作側から「名古屋城をテーマにして自虐ネタやって」等の自虐にならない無茶振りをうけたり、本人は下積み時代にやっていた熊本弁でのキレ芸がしたかったこともあり、表向きは順調でもヒロシ本人はだんだんと精神的に追い詰められ、ついに「テレビに出ません」と事務所に宣言し、世間からは「一発屋」として切り捨てられるようになってしまった。(「しくじり先生」より)
一時期は仕事が激減し、精神の均衡が崩れ自殺も考えたほどであった。のちにパニック障害だと診断され、治療を受けている。
最近は東京よりも地元熊本での仕事が増えており、ヒロシ本人も積極的に出演している。
ネガティブネタやホスト風の格好からインドア派な印象があるが、本人は大のアウトドア派で、月に数回はキャンプ(主にソロキャンプ)に出かけ、釣りや家庭菜園等も好んでおり、幼少期には有明海で潮干狩りもしていたことがある。(NHKラジオ「旅ラジ!」より)。
更にキャンプ趣味が高じてか、『ゆるキャン△』実写ドラマ版に3度ゲスト出演を果たしている。
そのキャンプ趣味を生かして、2015年にはYouTuberデビュー。登録者数は100万人を突破する人気チャンネルになり、関連して著書も出版している。
2022年現在は、芸人としてよりはキャンプYouTuberとして、一時期ほど爆発的でないとはいえ再びメディア露出も増えている。
人物
関連動画…言ってみたかっただけです…
イタリア映画「ガラスの部屋」主題歌。
ヒロシ自身が番組の企画でイタリアに赴き、歌った歌手の前でネタを披露した事もあった。