概要
1973年1月12日生まれ、フランス出身。
1991年デビューの競馬騎手。
経歴
デビュー以前
競馬に縁のない家庭に生まれたが、故郷のマイエンヌで盛んだった草競馬で乗馬経験を重ねた。
13歳で競馬学校に入る。
デビュー後
卒業後はクリストフ・ルメール騎手の父親にあたるパトリス・ルメール騎手の力添えもあって名門、パトリック・ビアンコーヌ厩舎に所属しデビュー。1991年には46勝を挙げた。
1993年5月のジャンプラ賞でGⅠ初制覇を果たすと、1996年にはエリシオでの凱旋門賞勝利を含む163勝を挙げ、フランス国内のリーディングジョッキーとなった。
この後、1997、1999、2000年にもそれぞれリーディングを獲得している。1997年にはパントレセレブル、1998年にはサガミックスで凱旋門賞を勝利し、凱旋門賞3連覇を達成している。
2000年代前半以降は主戦厩舎・馬主の変化もありながらも、ブリーダーズカップマイルを3連覇したゴルディコヴァや、2012年に凱旋門賞でオルフェーヴルを破ったソレミアなどとのコンビで活躍した。
2010年代後半からは南フランスに生活拠点を移したことや加齢もあって騎乗機会は限られているが、2018年にもレコレトスとのコンビでGⅠを2勝するなど、その腕前は健在である。
日本競馬との関わり
ペリエ騎手は、海外騎手の日本競馬(JRA)での地位向上に大きく貢献した先駆者である。彼の活躍がなければ後に続いたミルコ・デムーロ騎手やクリストフ・ルメール騎手の来日もなかったかもしれない。
主な実績
1994年に初来日。1995年、ワコーチカコで金杯(西)を制しJRA重賞を初制覇、2000年ウイングアローでフェブラリーステークスを制し、日本国内のGⅠを初勝利。
2001年にはジャパンカップ(ジャングルポケット)、マイルチャンピオンシップ(ゼンノエルシド)、阪神ジュベナイルフィリーズ(タムロチェリー)を次々と制覇し、JRA史上初の3週連続GⅠ勝利を達成した。
また、ワールドスーパージョッキーシリーズにも何度も参戦しており、1998年と2000年の2度総合優勝している。
2009年に目の病気で途中帰国して以降は、日本では短期免許取得はしていない(2010年、2012年のジャパンカップで単発来日はあり)が、2022年には凱旋門賞直前に東京スポーツの取材に応じるなど、日本との縁は続いている。
JRA騎手では武豊と親交が深く、武のフランス遠征時には通訳代わりになっていたこともある。また、ワイン好きであるとともにカレーうどんとガリガリ君も大好物で
特にガリガリ君に至ってはCMソングもすべて唄える。