概要
1990年代末期、F1参戦直前のトヨタがル・マン24時間レースに投入したレーシングカー。
正式な車名はGT-Oneだが、一般に型式名の「TS020」で呼ばれる事が多い。
開発はTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ。後のTMG→TGR-E)が行ったが、シャシー製造にはダラーラも協力している。
エンジンはグループC時代のトヨタ・94C-Vに搭載されていたV8ツインターボを改良したものである。
デザイナーは、プジョー・205T16や905を手掛けたアンドレ・デ・コルタンツ。
1998年の初参戦時には、市販車ベースであるLM-GT1クラスでエントリーした。
しかし、「一定容量の燃料タンクを設置すること。ただし設置場所はトランクでもOK」というルールの隙を突き、コックピット後ろの空間をトランクと主張し、そこに燃料タンクを設置するというアクロバティックな発想で、グループCばりに低く鋭いデザインを実現。
この一件で他チームからの抗議が殺到したため、同年でLM-GT1クラスは廃止。翌年からはLM-GTPクラスに移行した。
戦績
1998年に3台が参戦しデビュー。
本戦ではミッショントラブルが多発し2台がリタイア。
残った1台が総合9位を獲得するに留まった。
翌1999年には改良を加えて再び3台が参戦。
BMW、メルセデス・ベンツを相手に善戦したが、ここでも運悪く2台がクラッシュによりリタイア。残った1台は日本人トリオ(土屋圭市/片山右京/鈴木利男)がドライブする3号車であった。
欧州人スタッフがメインのトヨタ陣営内では脇役だった3号車はここに来てようやく全力のサポートを受けられることになり、ペースアップ。1位BMWの17号車には4周遅れにされていたが、これがリタイアすると1周先を走っていたBMWの15号車に追いつく希望が見えた。
こうしてファステスト連発の怒涛の追い上げを見せた3号車だが、直線で328km/hで走行中にタイヤがバースト。元F1ドライバー片山の渾身のセーブでなんとかコース上に留まるが、緊急ピットインを余儀なくされ、結局総合2位に甘んじた。
引退レースとなった同年の富士1000kmも2位で終え、結局一度も総合優勝を掴むことは無かった(※LM-GTPクラス優勝ということにはなっている)。
しかしファステストラップを連発するなど戦力の高さは本物であり、2003年にル・マン総合優勝を飾ったベントレー・スピード8はTS020を模倣に近いレベルでベンチマークとして設計されたと言われる。
優勝こそ逃したものの、その洗練されたデザインや頭一つ抜けた速さ、一瞬だけ見せた日本人トリオによるル・マン制覇の夢は当時のレースファンの記憶に残り、今なお高い人気を誇る。
余談
- LM-GT1クラスのルールに則り、1台だけ公道仕様車が製作された。この個体は市販されず、現在はドイツのTGR-Eで保管されている。
- 1999年仕様のカラーリングはスポンサーであるマルボロのもの。ただし煙草の銘柄を車体に掲げることは禁止されているため、文字は入っていない。同様の事例はF1やラリーでも多数存在した。なおマルボロはグループA初期のWRCでもトヨタをサポートしていた時期がある。
- トヨタがTTE主導でル・マンに参戦したのは、トヨタがF1に転身する際、これまでラリーしか経験のなかったTTEにサーキットレースの経験を積ませるためという目的があった。引退後のTS020は、F1のテストカーとして使用されている。
- デ・コルタンツは次作として、トヨタ最初のF1カーであるTF101も手掛けた。しかしF1に乗り気ではなかったのか、デザインは彼らしくない平凡かつ無個性なものであり、速さも示せなかったことから間もなく更迭された。
- 1999年にル・マン2位を飾った3号車は日本で保管され、トヨタ関連のイベントで時折展示された。現在は富士スピードウェイにある『富士モータースポーツミュージアム』に収蔵されている。
関連項目
TS030:系譜上の後継。2012年のル・マンでデビューした。