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能條純一の編集履歴

2023-09-26 03:16:21 バージョン

能條純一

のうじょうじゅんいち

日本の漫画家。1980年代に麻雀漫画で頭角を現した。

概要

東京都出身の漫画家

アウトローを主人公とするピカレスク作品が多く、超展開が特徴。三下ヤクザの描写が上手い。

最長連載作品は月下の棋士


来歴

1951年1月22日、墨田区(東京都)に誕生。中学生の頃、少女漫画家・巴里夫アシスタントをつとめる。

1971年、「COM」(虫プロ商事)に投稿した『錯乱』が佳作になる。その後は「漫画エロトピア」(ワニマガジン)などでエロ漫画を描いていた。


1982年、「別冊近代麻雀」(竹書房)に初めての麻雀漫画となる『わたしは雀』を連載。

1985年、「別冊近代麻雀」で『哭きの竜』を連載し、大ヒット。

1987年、「コミックモーニング」(講談社)で『翔丸』を連載。

1990年、「ビッグコミックスペリオール」(小学館)で『ゴッドハンド』を連載。

1993年、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で『月下の棋士』を連載。

1996年、「月下の棋士」で第42回小学館漫画賞(青年一般部門)を受賞。

2017年、「ビッグコミックオリジナル」で『昭和天皇物語』を連載。


余談

『哭きの竜』連載当初は麻雀初心者だったため、闘牌シーンは当時編集担当だった宇佐美和徳氏が考えていた。が、実は宇佐美氏も初心者で、第1話で竜が純チャンを狙う場面で読者から「純チャン狙いならここで六索をツモ切りしないのはおかしくないですか?」という質問が来て、以後闘牌シーンは宇佐美氏曰く「麻雀詳しい人に頼んだ」そうである。能勢氏も執筆の合間に麻雀の技術等を勉強したのは言うまでもない。その事は『サルでも描けるまんが教室』(相原コージ / 竹熊健太郎)でも「ルールを全く知らずに描いている」とネタにされたが宇佐美氏は「能勢先生が全然知らなかった訳ではない。あれは私のミス」と反論している。


アニメ版『3月のライオン』のエンドカードを手がけてくれた


関連タグ

漫画家 哭きの竜 翔丸 ゴッドハンド 月下の棋士 昭和天皇物語

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