曖昧さ回避
1.大日本帝国海軍の隼鷹型航空母艦の1番艦(飛鷹型航空母艦2番艦とする資料もある)
→当記事で解説
2.艦隊これくしょんにおける1の擬人化キャラクター
3.バディ・コンプレックスのキャラクター
1の隼鷹
外側に26度傾けたアイランド一体型の煙突が形作るシルエットが特徴的な隼鷹型一番艦。
有事に空母として改装することを前提として建造された大型貨客船「橿原丸」を改装した商船改造空母であり、装甲や最大速度には難があったが、艦載機の積載量は正規空母に引けを取らず、正規空母達をミッドウェー海戦で失った機動部隊にとって貴重な戦力となった。
竣工後、すぐ猛将角田覚治提督率いる四航戦に属し、ミッドウェー海戦の支作戦アリューシャン作戦に参加。同海戦後は四航戦が看板を掛け直して新しい二航戦になった。
南太平洋海戦では、有名な「本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」との訓示どおり、最前線に突出して攻撃隊を積極的に放ち、勝利に貢献した。
マリアナ沖海戦にも参戦、海戦前に内務長によって行われた徹底した可燃物の排除により、爆弾が命中したものの火災は広がらず、生還することができた。この内務長が行った徹底した可燃物の排除は他の部署の士官から捨てゼリフを買うほどのものだったらしい。
マリアナ沖海戦からの生還後は一航戦へ転属となり、同僚であった龍鳳・葛城と共に終戦を迎え、解体された。
なお、輸送任務中に被雷して損傷した機関部の修理が間に合わなかったため、鳳翔とは異なり復員任務には従事せず、商船にも復帰できなかった。
大鳳のように装甲が厚いわけでもなく、翔鶴・瑞鶴のように足が速いわけでもなく、魚雷が命中したことも爆弾が命中したこともあった本艦であったが、運と努力によって戦争を生き延びた一隻であると言えるだろう。
橿原丸の夢とその後継者達
歴史にifは無いだろうが、橿原丸として世に出ていたならば、出雲丸ともども戦前日本船舶の中で最大級の豪華客船となっていた。
世が世なら日本随一の、世界でも屈指のお嬢様だったのである。
無論、その思いは発注した日本郵船自身にもあったのだろう。
隼鷹が佐世保で生を終えてから約40年後、同社は客船事業への再参入を決意する。
そして、彼女と同じ三菱重工業長崎造船所へ今度は純然たる客船を発注した。
1989年09月、海外子会社向け「クリスタル・ハーモニー」(現飛鳥Ⅱ)進水。
1991年04月、客船事業子会社郵船クルーズ向け「飛鳥」進水。
日本郵船グループのフラッグシップの座を引き継いだ飛鳥は、内装において橿原丸のデザインを踏襲、更に船のスペックは奇しくも改装前の橿原丸のそれにほぼ近似していたという。