本項目にはONEPIECE FILM REDのネタバレが含まれます。
注意
本項はあくまでも読者の妄想であり、身内ネタから生まれたものであること
人によって解釈の異なるものであること
原作者や公式は一切関係ないこと
人によって不快に感じる可能性があること
架空の概念であり、原作とは一切の関係がないこと
以上をご理解・ご承知の上での閲覧をお願いいたします
概要
ホビウタとは、映画「ONE PIECE FILM RED」の登場キャラクターであるウタに関する二次創作の概念の一つである。いわゆるIF創作。
ホビホビの実の能力によっておもちゃとなったウタがルフィと共に旅立ち、麦わらの一味のメンバーとして冒険を繰り広げるというIFストーリー、またその内容が連載されているIF世界を妄想するものである。
IF創作の発祥はあにまん掲示板のスレッド『どうして…!?誰も私のことを覚えてないの…!?』である。
上記のスレッドは「映画のウタがおもちゃにされてしまったら?」という「もしも」を語る内容だったが、更にそれをアレンジして「ONE PIECE」第1話以前からおもちゃのウタがルフィと共にいたら?という概念に発展。
新たに『ウタとルフィが一緒に冒険したら(ただし、ウタはホビホビの実の能力でルフィのマスコットとして)』というスレッドシリーズが立ち上げられた。
このシリーズは一か月でPart50まで到達する人気二次創作概念となり、あにまん掲示板においては多数のSSやイラストが投稿されることとなった。 200レスで一つのスレッドが完走となる簡易的な様式の掲示板だがそれでも当時あった他のPartスレと比較して圧倒的な速度でスレが消化、完走に至る。
創作に関する設定は緩く公式ガイドライン等は無いものの、概ね以下の設定が共通認識として挙げられている。
- 「ONE PIECE」本編の第1話から登場している。
- 動くことはできるが、声を出すことはできない。
- 声を出す代わりに「キィキィ」という壊れたオルゴールの音色が鳴き声のようになっている(恐らく、自分がオモチャにされている事を訴えていると思われる)。
- ホビホビの実の力でウタに関する記憶を失ったシャンクスからルフィにプレゼントされてしまう。
- ルフィ自身もウタの存在を忘れているが、偶然か或いは何かの因果か人間の頃と同じ「ウタ」という名前をルフィから再度与えられ、以降はずっと共に過ごす。
- キュロスがウタがオモチャにされた期間を聞いた時に驚きと悲しみを顕にする(キュロスは10年に対し、ウタは12年である為)。
- ドレスローザ編で原作における他のホビホビの実の被害者たちと共に元の人間へと戻る。
- 8~9歳の少女時代にシュガーに遭遇しておもちゃにされた後、元に戻った時には21歳相当の大人の身体になっている(少女の頃の姿のままという解釈の創作も存在)。
- 「ONE PIECE」1話冒頭で娘の存在について触れる。しかし一切それ以降描かれないので死に設定として扱われる(ウタに関する記憶を消された為)。
- エレジアの悲劇は発生していない(そもそもエレジアに行かなかったパターンやエレジアでシュガーと遭遇したパターンなどが想定されている)
また、おもちゃ化したウタのデザインは主にメインイラストのデザインが使われている。また、実際にそのぬいぐるみを作った猛者もいるとか(ネットで投稿写真が簡単に見つかるので、気になる方はチェックしよう)。
原因
ここまで人気がでた理由としては以下の点が挙げられる。
- 新たな設定や展開を要せず、ほぼ矛盾の無いまま本編の展開に組み込みやすい。
ウタというキャラクター自体が非常に強力な個性や能力を所持しており、二次創作におけるIFとして原作本編の物語へ参加させた場合、バランスブレイカーにならないように作者側で慎重な調整が求められる。
(ウタウタの実の能力を活用した場合、クロコダイル戦や青キジ戦やシャボンディでのくま戦等、本来ルフィ達の成長や後の交流につながるはずの闘いやイベントを強引に突破できてしまう、RED本編や連動アニメの描写から、ルフィの価値判断や言動についても大きな影響を与えてしまう可能性が高いなど。)
だが、ホビホビの呪いで能力を封印されたウタであれば、原作の物語に大きく逸脱せずに妄想を広げることが可能である。
人間の姿に戻るのがドレスローザ編というタイミングも絶妙で、以降はゾウ編、WCI編、ワノクニ編と対立する相手が四皇へとシフトしていくことから、ウタウタの実の力を発揮してルフィ達を支援・共闘する展開が創作しやすい。
更に映画「RED」自体が1話以前のルフィの原点を描いていた話にもかかわらず、ルフィがモノローグの少ないキャラとはいえ、本編の過去回想に一切登場していなかったことについても、ホビホビの能力で記憶を消し去られていたという設定で自然に解決される。
少年漫画の主人公にはぬいぐるみや妖精的なマスコットキャラがいる者も少なくない。主人公がゴム人間で、魚人や人魚のような特殊な種族も最序盤から登場している「ONE PIECE」の世界観で動くおもちゃだけを特別に疑う事はほぼ不可能ではないだろうか。
更にいうなら度々動く玩具に驚くモブを差し込めば「それが当たり前の世界観ではない=何か異質な事情がある」と"ホビウタ込みワンピースが連載されている世界線"の読者にアピール出来、また道中登場する「悪魔の実を食べ、意思を持った無機物」がそのままミスリードになる。
- 早期にデザインと「喋れない設定」が考案され、それに伴い「曇らせ」展開も容易に創作しやすくなった。
スレッドの序盤でおもちゃにされたウタのイラストと「契約で喋れない」という設定が考案されたことにより、原作との矛盾がより発生しにくく、原作世界にいた場合の妄想がしやすくなった。喋れていた場合、後述の「全方位曇らせ」が発生し得ないためである。
- 原作との時系列が矛盾しない。
IF世界線を想像した場合、各キャラクターの行動などの時系列が原作から乖離していくのはやむを得ないことである。
しかしこの概念においてはウタが赤髪海賊団を離れた時期が12年前、シュガーがファミリー加入した時期が13年前なので、「この1年間の何処かで赤髪海賊団とドンキホーテファミリーが遭遇してしまった世界」と考えれば、ごく自然に発生しうる時系列上の矛盾が少ない概念となっている。
- 登場人物だけでなく読者や(メディアを含む)関係者も大ダメージを受ける。
「ONE PIECE」の連載開始からホビホビの能力者であるシュガーが登場するドレスローザ編に突入するまでにはリアルタイムで実に15年以上の長い年月がかかっている。
長年国民的少年漫画として君臨し続けた作品の最初期から登場していたマスコットキャラクターが実は主人公の幼馴染で恩人(しかも四皇の1人)の娘であったという事は衝撃を受けると同時に、読者自身もホビホビの実のえげつなさとドンキホーテファミリーの悪辣さと非道さと冷酷さを実感できる仕様となっている。
また、シャンクスにとってみれば自分の娘を忘れて捨てたも同然であり、ルフィも自分が海賊を目指すきっかけとなった存在を忘れていたという多方向への曇らせが想定できる。
また、少年向け冒険・バトル漫画のマスコットキャラを本気で推す人などいない、ネタキャラとしてぞんざいに扱われるものといったある種の暗黙の了解に対するアンチテーゼともなっている。
(当時までの換算)連載15年の中で何度もグッズ化され、その造形の簡単さ、及びチョッパーと異なりそもそもオモチャであることから所謂「手抜き枠」にされたり、ガチャやくじにおけるハズレ枠として認識されているであろうことから、そうやって手に入ったウタを捨ててしまったり、失くしてしまったり、壊した事がある読者にも特大で強烈かつ悍ましいブーメランが返ってくることにもなり、何より原作者なら考えてもおかしくないと思われたことも大きい。
この世界線のオダセン聖「なんでウタが動くか?付喪神とかってありますよね、物は大切にしようねって話です」
加減しろバカ!
- ウタの死生観が矯正される。
物心つく前からウタワールドにいたウタは、肉体の死を死と捉えておらず、心さえあれば良いと考えていた。その独特な死生観がホビホビの呪いによって「肉体はいらない?じゃあ何も感じないおもちゃの体でいいよね」「アイデンティティの歌を歌えなくします。」「おもちゃは眠らないので現実を見続けるしかない」「ウタワールドにも睡眠にも逃げられません」と、荒療治にも程がある方法でウタの死生観に影響を与え得る能力である。
- 約束されたハッピーエンド
これだけ多数の人を曇らせ得る地獄のような概念だが、実際の映画本編に比べればウタが十分に救われてハッピーエンドとなる事なども人気の一つである。
今までいつもそばにおいて大切にしてきたおもちゃの正体が、実は幼馴染の大切な女の子であり、戻った瞬間に全ての記憶を思い出す。
それがそうであったことは忘れていたが、だからこそ共にいる事ができた。
そして麦わらの一味と共に冒険の続きへと旅立つのだから(後に合流するジンベエと合わせると計10人になる)。
ただしシャンクスには何もフォローが入らないので一人曇る事になる
恐らくワノクニで手配されやっと肩の荷が降りるのだろうが、なんの因果かシャンクスが一繋ぎの大秘宝を取りに行くタイミングと被る
派生して
この概念が生まれたことにより様々なシーンでのネタが妄想されることになった。
『ゾロ加入時のエピソードが「二人目」で「一人目はルフィ」だと思われていたが、ウタ復活のエピソードが「一人目」で、満を辞して「ウタが一人目」と明かされる』
『(ドレスローザ編で)別行動をとっていた他の一味(特にある理由で一時離脱していたサンジ)が、ウタが人間だった等の事実を知った際の反応』
『フランキーに改造されてそう』
『ルフィが怒りのあまりドフラミンゴを連打(恐らく「ゴムゴムの猿王群鴉砲」と思われる)でKOする』
『原作では未登場なのに、シャンクス達がドレスローザに殴り込みに行きそう』
『メリー号の件でウソップが同じ位に仲間として大事に思っていたせいで「メリーを捨てる癖にそいつ(ウタ)は」とか失言してしまいそう』
『(シャンクスからプレゼントされているのでルフィ共々幼少期を共にし、共に兄弟の杯を交わした)エースの死の件でルフィやサボ同様にウタも大きな絶望と悲しみに暮れる』
『SBSで連載初期から女の子であることやシャンクスの船にいつのまにか有った(居た)事自体は明言されてそう』
『その癖ゾロの刀でやったような擬人化だけは絶対にしなさそう(何度も「立派なレディである」「擬人化などとんでもない」と明言していて、その理由は上記の通り元から人であるため)』
『一味が2年間の修行の間、サニー号を掃除や整理などの管理をしている』
『その際想像で"自分ならどう戦う"というイメージトレーニングを(現実逃避混じりながら)積んだことでウタワールドの強度や戦法が跳ね上がる』
『オモチャだった頃の癖がすぐに治らず、食事がまともに出来なかったり、服を着たまま入浴しそう』
など様々な妄想がされることとなった。
またこの設定で本誌連載されていた場合、元からある設定をこねくり回している我々と違い、その世界線の読者は、(原作時点ですらホビホビの問答無用さとその効果の多様さ、影響があまりにもオーバースペックと評されることが多いため)『ウタを人間だったことにするため、及びその矛盾点の解消を一つの能力に集約した結果ぶっ壊れた能力になった』『"ウタ"の人気がないからといって擬人化+過去捏造は後付けが過ぎる』という批判が起きるであろうことや『SBSで小出しにされているから後付けではなく伏線(実績多数)』という反論が為されるであろうことなど、ホビウタ込みのONE PIECEという作品を読む読者の反応を想像する妄想も為されており
二次創作等で「"ルフィが少年から大人になる儀式として誰かに渡す"ような展開を書いてしまったために修正が効かず筆を折ってしまう」様な、ある種ウタ初発表時に発生した「ルフィ達と幼馴染スタートの二次創作全般」が喰らったショックが襲うであろうことも容易に想像がつく
特にウタとシュガーが近い年齢であること、REDでウタが船を降りた時期と、シュガーがドン・キホーテファミリーに加入した時期がそう変わらない事から、ウタシュガCPという存在し得ないカップリングまで生まれている。前述のエレジアでシュガーと会ったと言うのに絡めて『シュガー(と姉妹のモネ)は元エレジア出身でTotMusicaを歌おうとしたウタを止めるために咄嗟におもちゃにした』という、愛憎と恩讐入り混じる妄想も生まれた。
最後に
最初に記載した通りこれはあくまで架空の概念となる。普通に原作を楽しんでいる読者にとっては不快に感じる可能性も十分ある為、取り扱いには細心の注意を払ってほしい。
あくまでもこれは妄想の範疇を出ず、公式設定なども存在しないため解釈違いなどで論争を起こすのは以ての外。
それぞれの解釈を尊重し、他人に迷惑をかけない範囲で棲み分けて楽しもう。