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東アジア反日武装戦線の編集履歴

2024-02-03 18:47:37 バージョン

東アジア反日武装戦線

ひがしあじあはんにちぶそうせんせん

かつて存在した武闘派左翼テロリストグループ

概要

日本の新左翼の一つ。

1970年代に三菱重工爆破事件に代表される連続企業爆破事件などを起こしたテロリストグループ。反日亡国論、アイヌ革命論などを主張していたことから捜査機関は反日アナキズム思想を持つ極左暴力集団と見なしていた。


メンバー

メンバーは大地の牙さそりの3つの班に分かれていた。それぞれ班名の由来は狼が資本家に苦しめられている被抑圧民衆を過去に絶滅したニホンオオカミに、大地の牙は国家資本家もない理想の世界を目標とし、国家や資本家に立ち向かう大地の牙に、さそりは自らの小さな組織の猛毒で大きな建設資本を倒すサソリに由来する。

特筆すべきは、正規のメンバーが僅か9人しか居ない点である。これは新左翼としては圧倒的少数派であるが、後述のように爆弾を用いた過激なテロを多数起こし、その名を有名にした。


行動上の特徴

メンバーが元々法政大学のクラスメイトであったことからか連合赤軍を始めとする新左翼に見られた総括などの死を伴う粛清がなかった。また家庭の都合や精神的に耐えられないなどの理由による組織の脱退も認めていた。

  • 公然・非公然部門の未分離

昼間は普通の会社員や喫茶店店員として働き、夜間に活動するスタイルを採った。爆弾教本である『腹腹時計』に記載されている事項によれば、あくまで「善良な市民」を装い、活動家だと察知されない生活を送ることによって周辺の不信感を欺く狙いがあった。そのため職場の労働運動や居住地域の市民運動に参加することはなかった。

また組織としてのアジト・本拠地を持たず、メンバーの生活空間を攻撃拠点としていた。

  • 集権的機構の不存在

中央委員会のようなメンバー全員を束ねる組織はなく、各班のリーダーが時々連絡を取り合うだけでメンバー同士の交流もなかった。また思想的立場も微妙に違いがあった。

  • 合法的資金源の確保

連合赤軍などが非合法的手段(銀行強盗など)で資金を確保していたのに対し、メンバーは社会人として働いて得た所得の一部を活動資金に投じていた。ただし手段のひとつとして、尚且つ十分に手法を検討した上での資金強奪は完全否定していない。

  • 綱領がない

思想上の特徴

マルクス・レーニン主義を掲げて行動を起こした新左翼と異なり、アイヌおよび朝鮮半島への日本による「侵略史」を学習するなかで、独自の「反日思想」を形成していった。あくまでも現在の日本帝国主義の破壊に力を入れており、その後の新社会についてはほとんど言及していない。


また『腹腹時計』では日本の一般大衆を「日帝本国人」と規定し、「反日闘争」に加担しない一般大衆を「日帝」の成員として断罪していた。


主な事件

虹作戦

未遂事件。1974年8月14日昭和天皇が乗車されたお召し列車を鉄橋諸共爆破しようとした事件。しかし爆弾の設置作業中に人に見られたため未遂となった。

この時爆弾が設置されたのは東北本線荒川橋梁で、この鉄橋は貨物線と旅客線2本が平行して走っており、爆弾が仕掛けられたのは旅客線側だった。しかし当日お召し列車が通過したのは貨物線だったため、仮に事前警備の目を掻い潜って決行されていた場合でも暗殺に失敗していたと考えられる。

三菱重工爆破事件

1974年8月30日三菱重工東京本社ビルで爆弾を爆発させ8名が死亡、376名が負傷。この時使用された爆弾は上記虹作戦で使われる予定だったものを転用したもので、実行犯側の予想を上回る被害となった。

この爆破事件を起こしたのは狼班だったが、これを機に新たに「大地の牙」「さそり」班が合流した。

連続企業爆破事件

  1. 1974年10月14日:三井物産本社を爆破。17人が重軽傷を負う。実行犯は大地の牙
  2. 同年11月25日:帝人中央研究所を爆破。被害軽微。実行犯は狼
  3. 同年12月10日:大成建設本社を爆破。9人が重軽傷を負う。実行犯は大地の牙
  4. 同年12月23日:鹿島建設資材置場を爆破。負傷者なし。実行犯はさそり
  5. 1975年2月28日:間組本社ビルと大宮工場を爆破。5人が負傷。3班全てが作戦に参加
  6. 同年4月19日:オリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所を爆破。負傷者なし。実行犯は大地の牙
  7. 同年4月28日:間組京成江戸川作業所を爆破。1人が重傷を負う。
  8. 同年5月4日:間組江戸川橋鉄橋工事現場を爆破。

その後

1975年に主要メンバーが一斉に逮捕された。

逮捕を免れたメンバーも指名手配されたが、うち一人(桐島聡)は最後まで逃走を続け、50年近くに渡り行方をくらましていた。しかし2024年1月26日、神奈川県内の病院に偽名で入院している男が「自分が桐島聡だ」と語ったことから警視庁公安部に身柄を確保された。男は事情聴取に対して、事件の関係者しか知り得ない当時の状況などについて話しているものの、既に末期がんに侵され危篤状態であり、同月29日に死亡した。

いきなり本名を名乗ったのは「最後は本名で死にたい」という願いによるとされる。しかし、本人のDNAが残っておらず鑑定が難航したため、その願いが叶わぬままこの世を去り、警察もあと一歩で逮捕を逃してしまった。


また、1975年に発生したクアラルンプール事件と2年後に発生したダッカ事件の犯行グループの要求により、一部メンバーが超法規的措置で釈放、日本赤軍に合流した。うち二人は現在も国際指名手配中。


その他

  • 1974年に、爆弾の製造方法などを書いた書籍『腹腹時計』を刊行したことで知られる。同胞からの評価は高かったが、口を滑らせて政治思想まで細かく記したことが仇となり、公安に特定されてしまいメンバーの一斉逮捕に繋がった。
  • 少数精鋭を地で行く過激さと体質的な特徴から、数ある新左翼の中でも異質な存在であり、創作のテーマにされることが多かった。

関連項目

学生運動 新左翼 極左暴力集団 テロリスト

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