概要
正式名称はヨルダン・ハシミテ王国、英語表記はJordan。首都はアンマン。
王族はムハンマドの血をひくというハーシム家で、現国王はアブドゥッラー・ビン=フセイン(アブドラ国王、アブドラ2世などとも表記される)。国名の「ハシミテ」とはハーシム家のことを指す。
ハーシム家はムハンマドの子孫、ヒジャーズ王国(現在のサウジアラビア)を元とし、王政イラクにも連なる家柄。しかし、ヒジャーズはサウード家との争いに敗れて奪われ、イラクは革命のため多くの王族が殺害され残りは亡命、現在全ての王家成員がヨルダンに集る。
アブドラ2世は稀にタクシー運転手などに変装して市井の人間に紛れ込み、お忍びで人々の暮らしを見て回っているというどこかの上様や御隠居みたいなことをやっている。なおたまにバレるらしい。
特徴
民族的にはアラブ人が多く、宗教的にはスンニ派のムスリムが多いがキリスト教徒も在住し、王妃もヒジャブを被らず公の場に出る等中東のイスラム社会としてはやや緩めである。実は、現王妃のラニアも殆ど被ることが無く、逆に周辺国にも評判の美貌を活かしてファッションリーダーとして活躍することもある(ただし、浪費的な面で批判もある)。
産業は畜産や果実などを中心とした農業や鉱業が盛ん。
周辺が産油国ではあるがヨルダンでは石油はとれず(かつての同族系のヒジャーズ、イラクでは取れたのだが)、ガスやリン鉱石を産出する。
国土の多くが砂漠地帯で、乾燥した気候で寒暖の差は激しい。
歴史
紀元前13世紀頃からはエドム人が住み着き、アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった。紀元前1世紀頃には、南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが、紀元1世紀から2世紀ローマ帝国に併合された。
7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、アラビア語とイスラム教が浸透してアラブ化・イスラム化が進んだ。ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅び、イスラム世界の中心がシリア地方から離れると、その辺境として都市文明も次第に衰えていった。
19世紀に入ると、当時この地方を支配していたオスマン帝国は、ロシアから逃亡してきたチェルケス人をシリア地方の人口希薄地帯に住まわせるようになり、ヨルダンは活気づいていく。
しかし第一次世界大戦でオスマン帝国と交戦したイギリスは、オスマン帝国に対するアラブ反乱を支援。大戦に敗れたオスマン帝国は崩壊、トルコ共和国が現在あるアナトリア半島以外の領土を失った。
第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年にヒジャーズ王国を設立したハーシム家のアブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立した。
トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めた。1950年には、エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われる。中東戦争はイスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらした。加えて1990年代以降には民主化に伴い、王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム原理主義派が台頭して、国内の不安定要因となっている。